突然、1本の電話が……

 ADBの歴代総裁はすべて日本人が務めてきた。創設を主導したのは日本と米国であり、日本側は東京に本部を置きたいと考えていたが、加盟国の投票で本部はマニラに置かれることになったため、米国の配慮で、戦後初の大蔵省財務官を務めた渡辺武氏が初代総裁に就任した。以来、日米両国の間では、日本から総裁を出すことが暗黙の了解事項となっている。

 また、ADBでは、出資額においても日米両国がともに最大で、合わせて25%以上のシェアを持つ。意思決定は、加盟している各国・地域が出資額に応じて議決権を持つ加重投票で行われるが、協定の改正、増資、新規メンバーの加盟といった重要事項の決定は75%の賛成を必要とし、日米は事実上の拒否権を有している。そのため、過半数で決まる総裁選でも、各国・地域は日米の意向を重視してくれるのである。

 もっとも、本田氏がADBの総裁ポストについて問い合わせてきたのは、あくまでも仮定の話にすぎず、彼からはそれ以上の具体的な言及はなかった。

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 マニラのADB総裁室で安倍首相からの電話を受けたのは、先述の通り、2月21日のことである。総裁補佐官から「総理から電話です」と言われて取った受話器の向こう側から、安倍氏の明快な声が響いた。

「白川方明日本銀行総裁の後任に、黒田さんを指名したいと思います」

ある日、安倍氏から電話があり総裁就任の打診をされた ©文藝春秋

 私は驚くとともに、一瞬答えをためらった。なぜなら、ADB総裁の3期目を務め始めて、まだ1年ほどしかたっていなかったからだ。

 ADB総裁の任期は5年と定められており、歴代総裁は慣例として2期6~7年務めてから退任していた。2005年に総裁に就任した私の場合は、前任者の残任期2年を引き継いだ後、2期目に入った。2期目の終わり頃には、財務省に「後任を選んでおいてください」と依頼しておいた。

 ところが、財務省は後任選びに手間取り、野田佳彦財務相(後に首相)から直接、「もう1期、総裁を務めてほしい」と続投を求められた。そのため2011年8月の総裁選に出て当選し、同年11月から3期目に入っていたのである。

 3回の総裁選で、私はいずれも全加盟国・地域の支持を得ていた。しかも、歴代ADB総裁の中で3選された人は私以外にいなかった。にもかかわらず、3期目に入ったばかりで退任するのは、加盟国・地域に対して失礼に当たらないだろうか。そう考えて、安倍首相への返答を一瞬躊躇したのだが、同時に脳裏をよぎったのが「天命」という言葉だった。

 日銀はすでに2%の物価安定目標をできるだけ早期に達成することを確約している。目標を達成するための金融緩和の具体的な規模についてはまだ明確になっていないものの、組織としての覚悟は決まっている。そうした中、デフレからの脱却を外部から唱え続けてきた私が首相の目に留まり、日銀総裁への就任を求められている。ならば、この指名は引き受けるべきだと思い至ったのである。

次の記事に続く 《黒田東彦氏が告白》植田和男氏は「日銀総裁」の第一候補ではなかった…「財務省出身」でも「日銀生え抜き」でもない“学者”が選ばれたウラ事情

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