なぜ植田氏が選ばれたのか

 一方、首相官邸から私に対しては、経済学者4、5人の名前が載ったリストが届き、この中に総裁・副総裁に適任な人物がいれば推薦してほしいとの要請を非公式に受けた。リストの中には植田和男現総裁の名前もあった。

植田和男氏(日本銀行公式サイトより)

 政府が、あえて日銀や財務省の出身者ではなく、学者出身の総裁を選任しようと考えた理由については知らされていない。私は、リストに載っている人たちはいずれも適任だと思うという旨の回答を官邸に送った。

 2023年2月、政府は日銀総裁に植田氏を起用する人事案を固め、3月には衆参両院の同意を得た。

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 植田氏とは、彼が旧大蔵省の財政金融研究所(財金研、現在は財務総合政策研究所)に出向して主任研究官を務めていた1980年代に知り合った。当時の私は国際金融局の国際金融機構課長だったが、植田氏がさまざまな情報を集めて省内にアドバイスしている様子を見て、理論家として優れているだけでなく、「ポリシースペース」の見極めが巧みな人だという印象を受けた。

 財政政策や金融政策の実務にはさまざまな制約条件がある。金融政策について言えば、金融仲介機能への影響を抑えなくてはならないといった制約条件が常につきまとうため、政策を選択できる範囲(ポリシースペース)を見極めて最適な政策を立案・運営するのは容易ではない。

 というのも、ポリシースペースは、経済理論によって明らかにするものではなく、実務上の状況判断によって見極めるものだからだ。もちろん、財政金融政策を実行していくうえで経済理論が重要な意味を持つことは言うを俟たないが、理論的に正しい政策がそのまま実行可能であるとは限らない。

 植田氏のポリシースペースを見極める能力がいかんなく発揮されたのは、やはり彼が日銀の審議委員として金融緩和を進めていた時期だろう。前述した通り、2000年に速水日銀がゼロ金利政策を解除したとき、植田氏は金融政策決定会合で反対票を投じた。金融政策の効果を高めるためにフォワードガイダンスという非伝統的な手法を発明し、世界で初めて日銀に取り入れたのも植田氏だった。

 私が財務官を務めていたときに、副財務官として一緒に仕事をした伊藤隆敏教授や河合正弘教授もポリシースペースを見極める力に秀でていた。伊藤教授からはマクロ政策や為替政策についてのさまざまなアドバイスを受けることができた。河合教授には、アジア通貨危機に見舞われた各国に対して300億ドルの資金支援を行う「新宮沢構想」をまとめたり、アジア諸国で外貨を融通し合う「チェンマイ・イニシアティブ」を創設したりした際にずいぶん助けてもらった。

 こうした実務的能力を身につけている学者はあまり多くないが、植田氏は間違いなくその一人だと思う。だからこそ、私は安心して後を託すことができた。

次の記事に続く 「負の遺産」と揶揄された異次元緩和には「何の反省もない」日銀前総裁・黒田東彦氏が振り返る“デフレとの闘い”の裏側と、後任・植田和男総裁への期待

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