経済学者・成田悠輔氏がゲストと「聞かれちゃいけない話」をする対談連載。第15回目のゲストは、『なぜ世界は存在しないのか』が日本でもベストセラーとなり、史上最年少でドイツ・ボン大学教授になった哲学者のマルクス・ガブリエルさんです。
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奴隷制廃止は道徳的進歩か
成田 道徳的事実が誰の目にも明らかな領域があることには同意します。ただ、道徳も時代によって激変しますよね。たとえば奴隷制。現在では自明な道徳的悪と見なされていますが、200年前までは多くの人が受け入れていました。欧米の名門大学の多くも、奴隷制や奴隷貿易と歴史的に深い繋がりがあり、それを隠蔽したり誤魔化したり反省したりするのに長い時間を費やしてきました。道徳の変化に倫理的資本主義はどう対応するのでしょうか。
ガブリエル それは極めて重要な問いです。もし道徳理論が道徳の変化を説明できないのであれば、その理論は確かに不十分でしょう。私の答えは、私たちには「道徳的進歩」の理論、そして同時に「道徳的退行」の理論も必要だ、ということです。
なぜなら、進歩は決して自動的なものではないからです。
私は、奴隷制廃止は明白な道徳的進歩の例だと考えています。二つの理論が考えられます。その一つは、「昔は人々が奴隷制を支持していたが、今は反対している。そして道徳とは単に社会的選好を反映したものにすぎない」というものです。しかし、これは不合理です。その論理に従えば、奴隷制を多くの人が支持していた時代には、奴隷制は道徳的に正当だったことになってしまう。
より優れた理論は「奴隷所有者たちが間違っており、奴隷制廃止論者たちが正しかった」というものです。経済的観点から見ても、奴隷制は優れたシステムではありませんでした。今日のまともな経済学者で、奴隷制が効率的かつ称賛すべき労働制度だったと主張する人は皆無でしょう。それは残酷で機能不全な社会組織の形態だったのです。
さらに、奴隷所有者自身の観点から見ても、それは道徳的に腐敗した人生を生み出しました。想像してみてください。裕福ではあるが、農園で人々を苦しめながら人生を送る生活を。それは良い人間としての存在ではありません。
ですから、奴隷制廃止は本物の道徳的進歩なのです。
私は最近の著書『Moral Facts』(道徳的事実)の中で、道徳的進歩を「以前は見えにくくされていた道徳的事実が、大規模な制度的・社会的承認を受けること」と定義しました。つまり「奴隷制は悪である」という道徳的事実は、イデオロギーによって覆い隠されていました。宗教的正当化、人種主義理論、同調圧力、経済構造――こうしたものが、人々の道徳的事実に対する認識を歪めていたのです。奴隷所有者たちは、虚偽の信念体系の中に生きていました。そして、そのイデオロギー体系が弱まるにつれて、根底にあった道徳的事実がより見えるようになったのです。
成田 現代でも、我々が同じような錯覚に囚われている可能性はありますね。未来から見た現在の我々も、同じような道徳的歪曲の中を生きている可能性が高い。未来に道徳的に否定されるのは肉食かもしれませんし、競争には勝利すべきで、人生には成功すべきで、経済は成長すべきだという信仰かもしれません。
