パラスポーツを国内外で撮影し続けている写真家・越智貴雄さん。初めてパラリンピックを撮影した際、開会式で選手たちの「笑顔」に圧倒され、「なにこれ、何が起こってんの」とカメラを構えられなかったという。26年にわたって撮り続けてきた越智さんに、撮影のきっかけや社会の変化、日本と海外の視点の違いについて聞いた。

『切断ヴィーナス』より阿部未佳さん  ©︎越智貴雄

気付いたら車椅子の選手を這いつくばって下から撮っていた

 越智さんがパラスポーツと出会ったのは、シェアメイトが持ってきた新聞と、一緒に夕食をとっていたときに録画放送されていた車椅子800メートルがきっかけだった。それを見て「速えなあ」と感じたという。当時は、パラスポーツについても障害のある人についても情報がない状態で、すべてが新鮮だった。

 オリンピックが終わると、パラリンピックの選手たちがビルの壁面広告で紹介され、電車のラッピングにも車椅子の選手の写真が使われていた。越智さんは「え、こんなことありえるかな、日本じゃ考えられないな」と感じたという。当時の日本では、パラスポーツはスポーツとしてではなく、「福祉」として捉えられていた。新聞でも扱いは社会面だった。

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 開会式では、松葉杖を横に置き、逆立ちしてぴょんぴょん跳ねながら手を振る選手の姿に目を奪われた。競技では、太ももから片足を切断した選手が、けんけんで助走して走り高跳びの1メートル80センチをベリーロールで軽々と越えた。「え、うそやろ」と思ったという。

 撮影スタイルもここで生まれた。車椅子の選手は、立って撮ると顔が見えない。顔が見えるように姿勢を変えていくと、気付けば「這いつくばって下から撮っていた」。下から撮ると迫力が出る。越智さんは、同じ被写体でも視点によって印象が絶対的に変わることに気づいた。

 2000年代前半の日本では、ほとんどのカメラマンがしゃがまず、立ったまま上から撮っていた。寝転がっていたのは越智さんだけで、「越智、また寝てる」と言われていたという。今ではみんなが寝る。かっこよく写すにはどうするかに気づき、社会が変化したからだと越智さんは考えている。

 かつては、国枝慎吾選手の写真も車椅子が写っていなければ採用されなかった。目のアップのいい写真ばかりを出していたときは、一回も採用されなかったという。

 足を失い義足をつける女性たちの写真集『切断ヴィーナス』を出版した際には、「なんでパラスポーツから離れたことをするの」と非難も浴びた。それでも「僕の中では全然ぶれてないんですよね」と語る。インタビュー本編では、パラスポーツに対する社会の変化や、日本と海外の視点の違いについてさらに詳しく語られている。

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