パラスポーツを国内外で撮影し続けている写真家・越智貴雄さん。
2014年には義足の女性たちにフォーカスした写真集『切断ヴィーナス』を出版し、その後、義足の女性たちのファッションショーも開催している。そんな彼にパラリンピックを撮影し始めたきっかけやパラスポーツに対する社会の変化、日本と海外の視点の違いなどについて話を聞いた。
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「日本じゃ考えられない」パラ選手の写真が町中に溢れていた衝撃
――パラスポーツを初めて見た時、率直にどう思いましたか。健常者のスポーツがメインで、報道も平等ではない中で、知らなかった競技の存在を知ったときは。
越智 あの当時はもう、僕自身にパラスポーツについても障害のある人についても、すべての情報がない状態だったので、ただただ新鮮でしたね。こんな取り上げられ方をするんだっていうのが。
オリンピックが終わると、パラリンピックの選手たちがビルの壁面広告で紹介されていたり、電車のラッピングに車椅子の選手たちの写真が使われていて。あのときも同じような感覚を受けました。「え、こんなことありえるかな、日本じゃ考えられないな」って。
――当時の日本とは違ったのですね。
越智 今のこの令和の時代ともまったく違う。日本ではなんていうんですかね、隠されてたわけじゃないですけど、スポーツとして捉えられていなかった。新聞ではもちろん社会面。
パラスポーツがスポーツ面で取り上げられるなんて考えられない時代でした。テレビでも同じような取り上げられ方。まさに「福祉」ですよね。別に福祉が悪いと言ってるわけではないんですけど、「え、でもこれ、スポーツだよな」って。
――その気づきが、パラスポーツと向き合う最初のきっかけになったのですね。
越智 その新聞を持ってきてくれたシェアメイトと夜ご飯を食べているときに、たまたまその車椅子800メートルが録画放送されていたんですよ。彼が「やってるよ」と声かけてくれて。それを見て「速えなあ」と。厳密に言うと、そこが一番最初のパラスポーツとの出会いですね。
――そのイギリス人のシェアメイトの方は、やはり日本人とは感覚が違いましたか。パラスポーツに対する見方や情報量など。
越智 おそらく違ったんでしょうね。今の僕だったら、いろいろ聞いてると思うんですよ。「なんでそんなに知ってるの?」とか「日本と全然違うね」とか。でも、その感覚すら当時の僕の中にはなかったんです。
ただ、今あえて2000年のシドニーと、その2年前の1998年長野のパラリンピックを比べると、あの当時、日本で電車のラッピングに車椅子の選手がでかでかと使われるなんてことはなかった。ということはやはり、オーストラリア、もしくはイギリスでは違ったのかもしれないな、と。

