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文春野球コラム

野茂英雄と佐野元春――ふたりの特別な関係

文春野球コラム ペナントレース2018

2018/11/01
note

 という訳で日本シリーズも佳境です。本物の野球の方も、この文春野球コラムペナントレースも。本物の野球の方は、ファイターズがCSで敗退したこともあり、全くただの一観客としてのんびり試合を楽しんでいればいいのですけれども……ってすみません書き出しに手を抜いている訳ではないんですっ。

 4時間38分もの熱戦の結果2−2の引き分けとなった第1戦。テレビを観ながらツイッターも見ていたのですが、延長に入った辺りからだったでしょうか、「野茂がそろそろ寝る頃合い」みたいなツイートがちらほら目につき始めました。

思い出される放送室での居眠り疑惑

 2010年、マリーンズ対ドラゴンズの日本シリーズ第6戦。延長15回5時間43分の末に2−2の引き分け、かろうじて日付が変わる前にようやく終わったという死闘だった訳ですが、このとき解説者として放送席にいた野茂英雄さん。イニングが進むにつれてだんだんと彼の口数が少なくなり、もしや居眠りしてしまっているのではという“疑惑”がかけられた訳です。

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2010年の日本シリーズで「居眠り疑惑」が話題になった野茂英雄 ©文藝春秋

 あの日を彷彿とさせる長時間ゲーム、それも同じ日本シリーズでとくれば、当然この話も持ち出されない筈がない。皆さん眼前の試合に熱中しながら8年前のことも思い出してるんだねと楽しくTLを眺めつつ、ある種の感慨めいたものを味わってもおりました。

 というのは、今やツイッターで野茂英雄の名前が出るといえば、この「放送席で居眠り疑惑」か、ファイターズファンなら球団通訳・野茂貴裕さんの父君であること、それくらいになっているような気がするのです。

 現役引退してから既に10年。全盛期は更にそのずっと前に遡ります。若い野球ファンにしてみたら、現役時代を直接知らないという点においてはONも野茂英雄も同じ「往年の名選手」枠で大きくひとくくりにして終わりなのかもしれません。

 それは時の流れで仕方のないこと、どんな選手にも等しく訪れることなのですけれども、「野茂英雄」は私にとってちょっと特別なのですね。

現役引退してから既に10年が経っている野茂英雄 ©文藝春秋

野茂英雄に親近感を抱く理由

 彼がミュージシャン佐野元春のファンだと最初に知ったのはいつだったでしょうか。まだ日本にいる頃だったか、それともアメリカに行ってからだったかはもう思い出せないのですが、ただとにかく、その時の自分が大興奮したのだけははっきりと憶えています。

 プロ野球選手、それもエース投手なんていう遥か雲の上の存在である人の中に、これは間違いなく自分にも判る、理解できると自信を持って思うことのできる部分があったということ。しかもそれが佐野元春の音楽ときた日には!

 いきなり話が飛びますが、現役引退記念の「Number PLUS 完全保存版野茂英雄1990-2008」に掲載されている二宮清純さんの文章に、たとえばこんな一節があります。

《この日、野茂は午後4時半頃、クアーズ・フィールドにやってきた。既に強い雨が降っていた。天気予報を確認し「9時から9時半の間にはゲームが始まる」との見通しをつけた。

 リラックスしなければならない。「自分の力でどうにもならないことは、流れに任せる」というのが野茂の“流儀”である。いつもどおりバッグからCDを取り出すと、ヘッドホンを耳にあてた。曲は佐野元春の「サムデイ」。》

 登板前に何を聴いてたとかそんなことまでわざわざ書いて、いかにも「Number」っぽい美文調、そうとしか思われなくても仕方のないところなのですが、そうは考えないのが佐野元春ファンという人種の面倒なところ。彼の曲を聴くというのは何かしら特別なこと、適当にとかたまたまとかいうものではないのだと握りこぶしで力説したくなるという甚だ傍迷惑な性癖を持ち合わせていたりします(そして、そりゃ誰の曲でもそうだろうという当然の指摘は聞かない)。

 かくして、非常に身勝手に一方的に野茂英雄に対して特別な親近感を抱くこととは相成りました。たとえばインタビューでの受け答えなども、彼が佐野ファンだと判った上で見てみると、実に納得のいく、腑に落ちるというていのもの。銀行の待ち時間か何かに読んだ週刊誌の記事で、正確に憶えていないのですが、とても印象に残っている言葉があります。どんな選手になりたいかと訊かれての答えが、おおよそこんなものでした。

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