由規と武内の『Hero』
ところが今年5月26日のDeNA戦を最後に『Hero』が神宮の杜に鳴り響くことはなくなる。6月2日に故郷の仙台で行われた楽天戦で右肩に違和感を覚えた由規は、その後は一軍のマウンドに戻ってくることはなかったからだ。
♪君だけ~のため~のhero~
久しく聞くことのなかったその曲が、不意に神宮のスピーカーから流れてきたのは、10月3日のDeNA戦。7回裏のヤクルトの攻撃で、その日から一軍に戻ってきたばかりの武内晋一が代打を告げられた時だ。武内といえば、おなじみの出囃子は米国のヒップホップMC、50セントの曲。それがこの日はいきなりアムロちゃんである。
いったいどんな心境の変化かと、遠征を終えて神宮に帰ってきた武内に聞いてみた。すると返ってきたのは「この間から変えました。家で息子が歌ってて、『じゃあこれにしようか』って」という答え。なるほどと、いったんは納得した。
あれ? と思ったのは「じゃあ、次に聞けるのは来年?」と何気なく聞いた時だ。武内は再び登録を抹消されていて、神宮で開催されるCSファーストステージには出場できない。ところが本人は「まあ何かあれば……広島でも」などと言う。確かにヤクルトがマツダスタジアムで行われるCSファイナルステージに進めば、武内の登録も可能になる。だが、敵地でビジター選手の出囃子がかかることはない。釈然としないまま、続ける言葉が見つけられなくなっていた。
その武内が現役引退を発表したのは、ヤクルトがCSファーストステージで巨人に敗れた翌日のことだった。それから彼と話す機会はなく、あの日『Hero』を選んだ真意はわからないままだ。本当に息子さんが歌っていたからなのかもしれないが、いずれにしても既に引退を決めていたのは間違いないだろう。彼の決意に気付いておくべきだったと、今にして思う。そして、現役最後となった打席を、もっと瞼に焼き付けておくべきだったと……。
由規に対して上田剛史からの別れの曲
実はこの『Hero』はその後、もう一度神宮で流れている。10月8日の阪神戦、途中から守備に入っていた上田剛史が8回の攻撃で打席に向かった時だ。奇数打席と偶数打席で異なる出囃子を用意し、頻繁に曲を変える上田ではあるが、この選曲にはピンと来た。
「ヨシノリが来てたんで」。ワケを聞くと、上田は少し照れくさそうに言う。この日は、今季限りで現役を引退する松岡健一と山本哲哉の引退試合。彼らの最後の雄姿を見届けようと、出場選手登録から外れていた畠山和洋や、球団から戦力外通告を受けていた成瀬善久、鵜久森淳志ら、彼らと苦楽を共にした仲間もスタンドに陣取っていたのだが、その中に由規の姿もあった。
06年の高校生ドラフト3巡目でヤクルト入りした上田にとって、翌年の同ドラフト1巡目で入団してきた由規は「初めてできた後輩」。引退の打診を拒み、現役続行を目指して退団することになった弟分がスタンドにいることを知った上で、エールの思いを込めた選曲だった。
これで思い出したのは大松尚逸の話だ。大松が16年にロッテから戦力外通告を受けた直後のホームの試合で、兄貴分と慕う福浦和也が大松の登場曲を自身の出囃子として使ったのだ。だから大松もその返礼として、新天地で迎えるホーム初打席は福浦の登場曲を使おうと決めていたのだという。実際には神宮での初打席はヤクルトの得点直後で、ファンが「東京音頭」を合唱していたために出囃子は流れなかったが、その2日後の試合で大松はこれを実行する。
「あの(ATSUSHIの)『願い』っていう曲は、福浦さんの登場曲なんです」。あの時、そう教えてくれた大松も、今シーズンは一度も一軍に上がることのないまま、10月2日に戦力外通告を受けた。
2018年。それは安室奈美恵さんが歌手を引退した年として、人々の記憶に刻まれるだろう。もちろん筆者も含めた燕党にとっては、ヤクルトが前年の96敗から2位に大躍進した年として、思い出に残るはずだ。
一方で前述の松岡、山本、武内が現役を引退し、由規、成瀬、鵜久森、大松、さらには久古健太郎、古野正人、比屋根渉、菊沢竜佑が戦力外となった年でもある。燕党としては、そのことも記憶にとどめておきたい。自らの脳に残る、スワローズのユニフォームを着た彼らの雄姿とともに……。
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