報道が偏っているからこその「魅力」
そう、「由伸辞任」のときとまったく逆なのである。由伸辞任について書いた先ほどのデイリースポーツと比較してほしい。まるで合わせ鏡!
巨人監督の「辞任」の論評はデイリースポーツがグイグイ書いて面白くて、阪神監督の「辞任」はスポーツ報知がえげつなくシビアに書く。お互いに1点ずつとっている感じ。伝統の一戦はここでもおこなわれているのだ。なんとも面白い。
誤解を招かないように一応言っておくと、私は「応援するチームの不利益な情報を報じていないじゃないかぁ」とか、ましてや「自チームの厳しいことを報じないのはけしからん!」と言っているのではない。
スポーツ紙が公平中立を標榜しているならそのツッコミは成り立つが、そもそも偏っているのが魅力なのである。これまで書いてきたように。
だからキツい文章を読みたければライバル紙を読めばよいのだ。それはファンの責任なのである。そこまで断言してしまっていいほどスポーツ紙の「偏り」は十分に認められている。(これが在阪スポーツ紙となると「阪神推し」という前提の中で党派性があるのでこれまた特殊な案件になる。いずれじっくり読み比べたい)
野球場の席のように、いろんな席から試合風景を観ればいい
さてここまで書いて「あれ、そういえば……」と思われた方はいるだろうか。
私が今回書いたスポーツ新聞との付き合い方は実は一般紙でも同じなのである。
とくに政治方面で考えがある人こそ、自分と反対の論調の新聞を読むことが大事だと思う。相手側の評価で見えてくることもあるからだ。
政治的にそこまでハッキリと「推し」がない人は、野球場の席のように、いろんな席から試合風景を観ればいい。それも新聞の楽しみ方だ。
新聞好きとしては、新聞週間でこういうことを訴えてほしかったのである。