去る9月20日、安倍晋三首相の自民党総裁三選が決まった日本。これから3年間の任期中、安倍政権の経済的な面での課題はどのようなものなのか。経済学者で慶應義塾大学教授の小林慶一郎氏に聞いた。

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小林慶一郎氏 ©文藝春秋

 安倍政権の経済政策は、短期的な成果を強調する一方で、財政再建のような長期的な課題については、あまりに楽観的な見通しに傾きすぎているように見える。最悪の事態を想定しない、不都合な事実は議論しない、という傾向は、かならずしも政権・与党にあるだけではなく、野党やメディアなどを含めて日本の政策論議では広く見られる傾向である。

「最悪の事態を想定することをタブー視して、誰もそれを語らない」という論壇の現状は、政策論議のあり方として不健全と言わざるを得ない。こうした特徴は、日本の大組織の官僚に典型的にみられる次のような「無謬性のロジック」によって生み出されている。「アベノミクスで長期的に高い経済成長をもたらすことが政府の責務なのだから、それが失敗した場合(つまり低成長が続いて、財政や社会保障が破綻してしまう事態)を検討すること自体、政府の責務に反している。だから、政府は政策が失敗したら何をするべきか、という問題を考えてはならない」。

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 政府は「失敗しない」――正確にいうと「失敗してはならない」――のだから、失敗した時のことは考える必要はないし、考えてはならない。これが無謬性のロジックだ。このような考え方は、政府に限らず、大企業や自治体など、日本のあらゆる官僚的組織で広く共有されている。

 しかし少し考えれば、このような「無謬性のロジック」がまったく不健全で道理に合わないことはすぐにわかる。いくら政府が高い経済成長を実現しようとしても、人間がやることなので、それに失敗する可能性はある。失敗したときに起きる最悪の事態(財政や社会保障の破綻)が具体的にどういうことで、そのとき善後策として何ができるのか、を検討することは政策論として重要だし、政府が当然やるべきことだ。政府は「失敗してはならない」という責務はあるが、だからといって「失敗した時のことを想定してはならない」という理屈にはならない。むしろ逆に、失敗した場合に備えることこそ責任ある大人の態度である。

 日本の官僚組織が「自分の責務が失敗した時のことを考えてはならない」という無謬性のロジックに囚われているのはきわめて不合理で不健全なことである。たとえば財政破綻が起きたときに実施する危機対応プラン(コンティンジェンシープラン)を、具体的にかつ詳細に政府内で考えておくべきなのだ。