筆者らは近著『財政破綻後』において、数人の研究者グループでそれを試みたが、とても細かいところまでは踏み込めなかった。本来は、政府が各省庁の専門的な知見を結集して、財政破綻が国民生活にどのような影響を与えるか検討し、国民への被害をもっとも小さくするためのコンティンジェンシープランを政府全体で考えておくべきなのである。
こういうと「国民に不要な心配を与えるべきではない」とか「財政破綻などと政府が言い出せば国民が将来不安を覚えて、景気が冷え込む」という反論がすぐ出そうだが、これらは典型的な「由らしむべし知らしむべからず」の愚民思想であり、日本国民の民主主義を担う力を過小評価している。最悪の事態に備えた政策プランを政府が準備していると知れば、国民の政府への信頼と将来への自信は高まり、結果的に、景気にもいい影響があるはずだ。
もっと言えば、日本の組織に蔓延する「無謬性のロジック」は、戦時中の日本軍が最悪のケースに備えた兵站の必要性を否定し、無謀な作戦を実行したときの「必勝の精神」のロジックと同じものである。つまり、いまの経済政策をめぐる我々の政策論争の精神構造は、戦前・戦時中の戦争指導において非合理的な精神論に陥った当時の日本人とまったくと言っていいほど同じなのである。これを「無謬性の罠」と呼んでもいいだろう。
安倍政権が最後の3年間に行うべきことは、我々の政策論争を無謬性の罠から救い出すことに尽きると言ってもいい。そのためには今の政策にとってたいへん不都合な、超長期の経済・財政見通しの試算を誠実に国民に開示することから始めるしかない。
「文藝春秋」11月号の拙稿「アベノミクス『出口』はひとつしかない」では、これらに関連する論点を詳細に論じている。