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福原がいなければ、石川、伊藤、平野も登場しなかった

©文藝春秋

 石川佳純が本格的に卓球を始めたのは、7歳と遅かったが、福原が史上最年少の11歳で全日本選手権一般の部で勝利する快挙を成し遂げて間もなくのことだった。伊藤美誠と平野美宇がそれぞれ2歳、3歳で卓球を始めたのは、福原が史上最年少の14歳で世界選手権に出場してベスト8入りする前後のことだった。彼女らの両親にとって、福原の成功が心のよりどころになったであろうことは想像に難くない。福原がいなければ彼女たちは登場しなかったかもしれない。福原が日本卓球界で果たした役割はとてつもなく大きい。

 やがて福原は、皮肉なことに自らが作り出したと言ってよい後進たちに脅かされることになる。世代交代から逃れることはできないのがスポーツの常とはいえ、メディアから注目を浴びる競技の場合、ときにそれは残酷な形で現れる。

あのとき「テレ東コート」に入ったのは伊藤だった

 2015年世界選手権蘇州大会。女子シングルス1回戦で福原の試合と伊藤の試合が同時にコールされたが、テレビカメラが取り囲むコート、いわゆる「テレ東コート」に入ったのは福原ではなく伊藤だった。それは、テレビ東京が世界選手権の独占放送をするようになって以来、福原の定位置といってよいコートだった。伊藤が入る「テレ東コート」の後を通り過ぎて一番端のコートに歩いていく福原の姿は、時代が変わったことを冷酷なまでに示していた。

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 この大会で福原は2回戦で姿を消したが、一方の伊藤は、日本選手史上最年少の14歳192日でベスト8入りを果たした。奇しくもそれは、2003年世界選手権パリ大会に「将来性を見込んで」多くの選手の夢を砕いて抜擢されたときの福原の記録を11日更新するものだった。

 そして迎えた翌2016年リオ五輪。福原は、その伊藤、そして石川とともに最後の気力を振り絞って戦い、女子団体の2大会連続のメダルを決めた。3歳9ヶ月でラケットを握ってからすでに24年が経っていた。ロンドン五輪をともに戦った平野早矢香もすでに卓球界にはない。

リオ五輪女子団体で銅メダルを獲得。左から福原、石川、伊藤 ©文藝春秋