10月21日、福原愛がブログで現役引退を発表した。リオ五輪以来、選手活動はしていなかったので、実質的には2年前に引退をしていたようなものだが、この度、正式に引退を表明した形だ。
福原愛の卓球界での功績は計り知れない。もしも福原がいなかったら、現在の卓球ブームはなかったかもしれない。
福原がメディアに登場したのは1993年、福原が4歳のときだった。卓球台からやっと顔を出す愛くるしい少女が年上の小学生たちを次々と倒して勝ち進む姿に、日本中の視聴者が魅了された。
しかし、一部の卓球人は、それとは別の衝撃を受けていた。それは、福原の一日4時間、多い日には8時間という信じがたい練習量だった。
そもそも福原以前には、4歳児に卓球をさせるという発想自体がなかった。「7、8歳から始めなくては遅い」とは言われていたものの、だからといって4歳から始めればもっと効果があるとは誰も考えなかった。効果があるかどうか以前に、そんなことは「できない」と考えるのが普通だろう。今でも多くの人は信じられないはずだ。
驚きの「1000本ラリー」とは?
さらに卓球人を驚かせたのは、その練習内容だった。福原は1000本ラリーをしていたのだ。1000本ラリーとは、1000往復、一度もミスをすることなくラリーを続ける練習で、途中でミスをすれば最初からやり直すというものだ。球史に残る過酷さで知られる1965年世界選手権リュブリアナ大会前の日本代表合宿で、監督の荻村伊智朗(世界選手権金メダル12個、後に第3代国際卓球連盟会長)が全選手に課し、朝の3時までかかって完遂したという練習だ。ボールを見続けているうちに目は乾き遠近感はなくなり、腕も手もこわばり、ミスの恐怖で緊張が全身を襲う。実戦における有効性には疑問があるが、その困難さは筆舌に尽くしがたい。中級以上の卓球選手でもやったことがある人は多くはない。
福原はそれを4歳6ヶ月で成し遂げ、あろうことかその後、毎日、練習の最初にこのラリーを必ず「できるまで」やっていたのだ。比類なき安定性を身に着けるために。この練習の意味するものを知る卓球人にとって途方もない衝撃だった。
福原の成功は、人道的な是非は別にして、このような幼児期からの激しい訓練が可能であることと、それが有効であることを否応なしに示していた。日本卓球界に与えた影響は計り知れない。