「敵」より「味方」を殺した新選組の真実!
『鞍馬天狗』の影響からか、昔、新選組には「勤王の志士を斬りまくる暴力集団」という悪のレッテルが貼られていました。それが司馬遼太郎の『燃えよ剣』あたりから、「農民出身だけれど、武士よりも武士らしく戦った若者たち」と、好感を持つ方が増えたように思います。
両極端のイメージですが、じゃあ実際はどうなのだろう、と皆さんも思いますよね。映画や小説はフィクションですから、それぞれの新選組像があっていいと思いますが、研究者としては事実に目を向けなくてはなりません。そこで今回は「内部粛清」と「移り変わっていく組織」に注目しながら、新選組とは何だったのかを考えてみました。
調べてみると、新選組が殺した「敵」は鳥羽・伏見の戦いが始まる前までに26人います。ここには池田屋事件で討ち取った7人も含まれます。そして病気や闘死などで「死亡した隊士」は、池田屋事件での犠牲者3人を含めて10人です。
それと比べて「内部粛清した隊士」は40人。これこそが、新選組の真実を表しているのかもしれません。
隊士増加と隊規の強化
粛清の理由は様々です。内部抗争以外の理由で一番多いのは、脱走関係の9人。そもそも隊規は脱走を防ぐために作った、と言っていいと思います。子母沢寛が伝える「局中法度」という名称は創作ですが、実際にかなり厳しい掟があったようです。食い詰め浪人の集団をまとめるには「脱走は切腹」くらいの覚悟をさせねばならなかったのでしょう。次に間者(スパイ)として粛清されたのが4人。それ以外にも金策、婦女暴行、反幕活動など様々な死に方から、組織のイメージが見えてきます。