土俵人生の剣ケ峰に立たされた秋を乗り切ったせいか、横綱稀勢の里の表情には充実感がにじみ出ている。穏やかさ、柔らかさとともに「とにかく、ここからでしょう」という静かなる闘志。11月11日から始まる大相撲九州場所で真の復活を目指し、再起からの大きな二歩目へと進み出した。
それにしても、9月の秋場所は見ている側の体と心を何度揺さぶっただろう。負けが込めば現役引退のムードが高まる序盤戦から決死の内容が続く。土俵際を背にしても、歯を食いしばって耐えた。8場所連続休場と窮地の日本出身横綱は、けれん味とは対極にいるような真っ向勝負で白星を二桁に乗せた。
日本中を大きく安堵させ、喜ばせもした15日間を「自分としては、そこまで追い詰められたような心境ではなかった。やるべきことをやってきたんだから。稽古場と本場所は全く違うと感じたのは確かだが、体は初日から動いていた」と後に述懐している。
10月の秋巡業は3週間以上に及び、実に24カ所で開催された。稀勢の里は関脇御嶽海や平幕豊山ら伸び盛りの若手と申し合いを重ね、土俵下では四股などで下半身を重点的に強化した。昨年春場所の横綱昇進以降、本場所と直後の巡業を続けて皆勤したのは初めてだ。「苦しくても絶対に諦めず、続けること」と「努力の継続」を信条とする男にとって、ようやく本来あるべき状態に戻ったということになる。元来、初土俵から大関時代までの通算89場所で休場はたった1日という頑丈さを誇っていたのだから、心身ともによみがえりつつあるのだろう。
福岡入り後も上々の調整を進めた。再編された二所ノ関一門による2日間の連合稽古に加え、自ら出稽古も行った。ただ秋場所で1つの大きなヤマ場を越えたからといって、周囲はそれだけで満足はしてくれない。最高位に立つ横綱に求められるものはただ1つ、幕内最高優勝だ。稀勢の里も十分に自覚しており、千秋楽まで優勝争いに絡むことを「最低条件だ」と言い切る。そしてこう続けた。「とにかく今場所が大事でしょう」。
1年納めの九州場所は季節が冬へと移り変わり、場所が終わればすぐに師走へと突入する。慌ただしくも切なく、感傷に浸る独特な場所でもある。だからこそ、土俵外でさまざまな騒動に揺れた角界の1年をきれいに締めくくるのは、稀勢の里の復活優勝がふさわしい。秋に繰り広げた「魂の15日間」の再現が待ち遠しい。
◆◆◆
※8場所連続休場明け、実に500日ぶりとなる“復活の場所”で、横綱・稀勢の里はいかに闘ったか。共同通信記者・田井弘幸氏は、横綱が見せた「魂の取組」について、「文藝春秋」12月号「横綱・稀勢の里は逃げなかった」で詳報しています。併せてご一読ください。