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「音のない世界」に生きる画家・今井麗が電信柱の陰で出会った人生の転機

今井麗インタビュー #1

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「上手いんだけど、美味しそうに見える訳じゃない」と気付いた

――今井さんご自身は、結構食いしん坊ですか?

今井 もちろんです。

―― アハハ。やっぱりそうでしたか。

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今井 私の父もまた画家なのですが、もっと食いしん坊です。小学5年生の時から、父の仕事の都合で一緒にヨーロッパ旅行へ連れて行ってもらっていました。まず市場に行ってメロンを1玉買うんです。メロンを買って冷蔵庫で冷やし、父は白のタンクトップにステテコ姿になります。準備が整ったところで、メロンを半玉に割って、そこにイベリコの生ハムをちぎり入れてスプーンですくうようにして食べる。「これがメロンの食べ方だ」みたいな風に言われましたね。

――汚れてもいいように万全の態勢で。その食べ方で生ハムとメロンを描かれていたことがありましたね。

今井 そうそう。美術館では子供の頃からわりと静物画を観るのが好きでした。最初の頃は、とにかく技術の上手さに惹かれました。「ブドウの実やガラスの描き方が、本当に上手いなあ」という目で見ているんだけど、だんだん「上手いんだけど、美味しそうに見える訳じゃない」と気付き始めて。

 

――面白いですね。

今井 でも、パリのオルセー美術館で、印象派の展示コーナーを観ていた時に、マネのアスパラガスの絵に出会ったんです。印象派よりはわりとアカデミックな印象の静物画でした。

――アスパラガスですか。

今井 マネが、すごく小さな絵に、1本のホワイトアスパラガスを描いている。ただ大理石のテーブルの上に、ホワイトアスパラガスが乗っている絵です。これを観て、「わあ上手い」と思ったんですよ。描くのが早いし、あまり描きこんでいない。でもこんなに美味しそうにも描けるんだなと知りました。子供ながらに、描きこめば描きこむほど上手いという訳じゃないんだなと思ったんです。そこから、早く的確に、しかも上手く描ける画家に興味を持つようになりました。

――他にはどんな画家がいますか?

今井 スペインのベラスケスですね。ベラスケスは、王様やその家族、子供たちを描いているのですが、ビロードやサテンなど、モデルが身に着けている豪華な洋服の素材を、パパパパパッと描いています。他の描き手はすごく細かく描いているのに。ベラスケスの場合は、近くで観ると雑なのに、少し離れて観るとすごく丁寧かつリアルに伝わってきます。あとはデイヴィッド・ホックニーやフェルメール、ヤン・ファン・エイク。ヤン・ファン・エイクは早描きではないのですが空気を取り込んだような透明感のある描き方に目を見張りました。早く描いて、なおかつ上手い人の描き方を色々観て勉強して、今の画風になりましたね。

 

――マネのアスパラガスを初めて観たのは、いつ頃ですか?

今井 小学生の後半かな。その後、中学校や高校に進学してから何回も同じ作品を観ています。父が洋画家だったから、子供の頃から家のリビングに、油絵も筆も木炭も転がっていて、それを遊びのように小さい時から使っていました。小学1年生ぐらいからは、隣町の造形教室に通って。その教室の先生はすごく面白い人で、例えば普通だったら「目の前にあるリンゴやお花を描いてください」と教えたりするんだけど、いきなり「アンリ・ルソーの『蛇使いの女』やマティスの『金魚』の絵を模写しましょう」というところから始まりました。