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今の彼女は選択的な愛人の立場を手放さない

 何も彼女は既婚男性との淫靡な逢瀬に溺れているとか、或いは結婚への軽めの絶望を持って不倫に甘んじているとか、そのような日々を送っているわけではない。ごく自然に、現代のある種の女性が当たり前にそうであるように生きた結果として、ごく自然に恋人が既婚者である。と、同時に男をAランクBランクと分けるまでもなく、今の彼女は選択的な愛人の立場を手放さないようにも思う。

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 彼女のお相手は年上で、魅力的で、成長中の会社と盤石な家庭を築いてきた自負があり、彼女は一抹の寂しさを引き受ける対価として一切の煩わしさを放棄する自由を手にして、軌道に乗り出した自分の仕事も、友達付き合いも、自分の親との付き合いも、ある程度自由な夜も、楽しんでいる。それは一時しきりにテレビや雑誌で糾弾されていたような不倫の悲壮な罪深さとは無縁のようにも見えるし、むしろお互いの人生を背負い込むための助走をつけているような恋人同士よりずっと穏やかで破綻のない関係のようにも見える。

当事者たちもまた、全面的に肯定されることなど望んでいない

 別に私は世のおじさま方と妙齢の淑女の皆様に不倫のススメを唱えたいわけではないのだが、あれだけブームを過熱させておいて、結局、「不倫は良くないよね」「でもテレビでギャーギャー騒ぐようなことでもないよね」「必要悪とも言えるよね」「文化と言った人もいるしね」「ばれずにやってほしいよね」という以上の発展が何も見えないことにはちょっと違和感がなくもない。

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 そう、スポーツ界を中心に相次ぐパワハラ報道に押されて、一時は呑気なこの国のお茶の間の話題を独占していた有名人の不倫疑惑というものはすっかり影を潜めている。できればごくごく身近な人にさえ明らかにせずに死んでいきたいであろうプライベートな領域を、身近でも知り合いでもない世間につまびらかにして見せたその報道ブームは、結局一つ目の衝撃を超えることなく追随し、飽きっぽい人々にthat’s enoughと言われて収束した。それ自体は、ある意味健全なことだし、飽きっぽいと同時に忘れっぽい人々は、空襲が去った後の野原に出るが如く、始めこそ少し慎重に様子を見てはみるものの、そのうち過熱した温度など忘れて、また楽しく不健全な不倫に勤しみ出すに決まっている。結局、不倫についてのスタンスなど、変わらず曖昧なままに。

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 男女の恋愛やセックスについて書くことの多い私は、1年ほど前までは相次ぐ不倫報道を受けて、何度か不倫や愛人について書く機会があった。不倫はなぜ罪深いのか、不倫にはどんなパターンが多いのか、不倫をどのように分類できるか、どうして不倫はこれほど人の関心を惹きつけるのか、と書き進め、結局どんなに頭と視点を回転させても、不倫はよろしくない、というごく一般的な規範を凌駕するほどの斬新な切り口など見つからないこともよくわかった。

 そして何より、不倫に溺れる多くの当事者たちもまた、別にその事実を世間に全面的に許され、肯定されることなど望んでいないのだ。深夜にひっそりと手を伸ばして摘むチョコレートのように、普段よりちょっと自分に甘くなった感覚でその罪を人知れず愛でる。そういった意味で不倫についての議論は売買春についての議論と少し似ている。それがどんなに幸福をもたらすか、それがどんなに求められているか、といった主張は、善悪の判断を超えることがない。