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高学歴高収入女性が「選択的愛人」として生きる理由

「愛人の品格」――#1

2018/12/02
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愛人は家族を中心として形成される社会の脇役

 さて一方で、35歳の働く独身女性となった私自身にとって、不倫はかつてよりずっと身近に迫ってくるものになった。こういう言い方では誤解を招くかも知れない。別に10代20代の頃にも、それは気づかないほど当たり前に転がってはいた。しかし、ちょっとした火遊びや好奇心、あるいは純然たるアルバイトとして経験するものだった既婚男性との付き合いは、冒頭で紹介したコンサル会社の友人ら周囲の女性たちを見るに、もう少し生活に根付いた切実なものに変質している。それぞれが独自の理由を持って、世間的に肯定され得ないその小さなチョコレートを自らに許している。

 彼女たちを庇う言葉を私は持たないが、少なくとも米国とも欧州とも違った家族の形態を理想とする日本において、なぜ彼女たちが彼女たちであるか理解することはできるような気がする。独身男に本妻になってほしいと言われることより、盤石な家庭や運命の恋人がいる男の浮気相手に抜擢されることの方が圧倒的に多い人生を歩んできた私自身の実感も含めて。

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 愛人は家族を中心として形成される社会の脇役である。仏映画や米ドラマに登場する家庭に比べて、日本で例えば日曜の夕方のテレビで描かれる家族像は実に非性的で、ドラマチックさに欠け、キスやハグよりも夫が妻をお母さんと呼ぶその姿に美徳がある。どんなに社会規範のグローバル化が進もうが、どんなにかつての専業主婦像が現実と乖離していこうが、結局時代の変化に男の好みが付いていっていないのか、或いはその家族像は世界標準に是正されてしまうほど脆弱なものではないのか、何れにせよ未だに「良き」家庭というものに対する幻想が根強いのが現状で、それでも教育制度から雇用法の変革を経て、確実にその家庭像の中にそぐわない種類の女たちが量産されているのも事実だ。

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サザエさんにもドラえもんにも出てこない

 少なくともサザエさんにもドラえもんにも出てこない彼女たちは、いくつかの脇役としての生き方を模索する。新しい家族像を模索するものもいれば、歳下の男を子飼いにするものもいる。恋人との付き合いと別れを短期間に繰り返すものもいる。そして既婚男性との本妻ではない関係に陥っていくものもいる。それは清潔な家庭を持つと同時に安定した性と刺激の供給を欲する男の需要と綺麗にマッチして、奇妙なバランスを保っている。

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 男の本能を持ち出しての無理矢理な肯定も、みんなしているからという開き直りも、不倫は愚かな行為であるという事実を覆すことはない。それでも愛人の印象がいつまでも更新されず、漠然とした悪でしかないのであれば、それを過剰に恐れて憎むような不毛なことに時間を取られるままのような気もする。熱が冷めた報道の間隙を縫って、彼女たちの流儀や美徳について考えたいと思ったのはそのせいだ。

 不倫は愚かだが、不倫を恐れ糾弾し、あるいは恨むということも実は同じくらいに愚かなことであるということは、知るに値すると私自身は思っている。性の匂いを排除した、愛らしく平和で盤石な家庭を良しとする日本に生まれた、一介の脇役として。

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