『文藝春秋オピニオン2019年の論点100』掲載

 平成30年は国産プラモデルが誕生して60周年に当たりました。プラモデルが誕生したのは昭和33年、私はその年に、父が興した「田宮商事合資会社」(静岡市)に入社しました。静岡は元々木工業の盛んな土地で、父の会社も木材で教材用の模型や、軍艦や戦車の模型を作っていました。当時は模型といえば木製模型でした。ところが入社した頃には国産プラモデルが発売されはじめ、瞬く間に大ブームとなりました。プラモデルはそれまでの木製模型と違って、カンナやノミもいらず、ランナーと呼ばれる枠からパーツを切り離し、接着剤で付ければ完成です。子どもたちにも簡単に作れます。細部の再現性や、リアル感は木製模型にはない精密なものでした。

最初のヒットはパンサータンク

 たちまち木製模型は売れなくなって、私たちも仕方なくプラモデルメーカーに転身することにしました。ただ、子どもたちに支持されるプラモデルを作り出すことはそう簡単ではありませんでした。失敗を繰り返して、昭和37年の正月にドイツ戦車のパンサータンクを発売しました。この戦車の模型は、モーターでふとんの上でも砂場でも良く走ります。おかげ様でヒットしました。ここでようやく私たちもプラモデルメーカーとしてやっていく自信を付けました。この「モーターで走らせる」ということは私たちタミヤの原点といえるかもしれません。

 

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 その後、戦車に続いて、零戦や大和など、いろいろな模型を作りました。「タミヤのキットは素晴らしい」と国内外から高い評価をいただきました。特に海外から注目されたのは、昭和42年に発売したホンダF1の1/12の精密スケールモデルでした。しかし昭和50年代にテレビゲームが流行し始めると、子どもたちはボタンを押すだけで楽しめるゲームに目がゆき、プラモデル離れが始まったのです。そこで私はもう一度、原点に返って小学生でも楽しめるプラモデルを作ろうと社内で企画会議を重ねました。昭和の終りの頃です。