2025年開催予定の国際博覧会(万博)会場に大阪が決定した。大阪で万博が開催されるのは1970年以来実に55年の時を経てのことである。

 東京五輪が1964年以来56年ぶりに開催されることとあわせて、まるで時代がもう一度繰り返されるデジャブのような気にさせられた日本人も多いのではないだろうか。

(最前列右から)喜びに湧く松井一郎大阪府知事、官民でつくる誘致委員会会長・榊原定征氏、世耕一成経産相 ©AFLO

万博会場は「その後」どうなったのか

 国際博覧会は国際博覧会条約(BIE条約)に基づき開催される展示会であるが、今回大阪で開催される登録博と特定テーマに絞って開催される認定博に分かれる。このうち登録博は70年に大阪で開催されて以降、22年後の92年に開催されたセビリア、2000年に開催されたハノーヴァーまでは不定期開催だった。その後は5年おきの開催となり、2005年の愛知万博(愛・地球博)を手始めに上海、ミラノで開催され、大阪は2020年開催予定のドバイの後という順番になる。

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 なお75年の沖縄海洋博、85年のつくば科学万博はいずれも特別なテーマで開催される認定博であった。

 万博開催を巡っては、「今さら国を挙げてやるような行事じゃない」「財政が厳しいのに税金の無駄遣い」「ネットが発達している現代では時代遅れ」などの批判が多いが、本稿では万博開催の賛否とは離れて、日本で開催された万博会場の「その後」を振り返ってみたい。

誘致活動にはピカチュウやハローキティも参戦 ©AFLO

大阪の会場跡地は市民の憩いの場に

 70年に開催された前回の大阪万博。3月15日から9月13日までの183日間で入場者数は当初目標の3000万人を大幅に上回る6421万人を記録した。この入場客を受け入れたのは大阪府吹田市の面積330haに及ぶ千里丘陵だった。

開幕式でビームを放つ太陽の塔 ©文藝春秋

 万博閉幕後、会場跡地は万博記念公園として活用されている。丘陵を切り崩して整備された土地を再び造成し直し、ここに250種60万本の植樹がなされた。公園内には万博の象徴的な施設だった太陽の塔のみが残され、公園内には国立民族学博物館が開館した。大阪は緑が少ない街だが、万博会場跡地は鬱蒼とした森となり、市民の憩いの場となっている。ちなみに、太陽の塔は2025年までに「世界遺産登録」を目指すのだそうだ。近畿地方で唯一世界遺産のない大阪府の悲願なのだろう。