なぜアメリカ人たちは『テラハ』に驚くのか?
なぜこれほどまでにアメリカ人たちは『テラスハウス』に驚くのか。「さりげない日常のドラマに共感できる」──ELLEのレビューが語る通り、実は『テラスハウス』の礼儀正しい若者たちは、アメリカのメディアにおいても「視聴者に近い存在」として受け止められている。
他人にイラついても叫んだりせず、なるたけ対立を避けるように努め、仕事に明け暮れながら家事をしていく……『テラスハウス』で映された「礼儀正しい日本の若者たち」は、一般的なアメリカ人にも親近感を与える存在なのだ。
その一方で、『テラスハウス』の若者が「衝撃的な礼儀正しさ」と評され、驚きを持って迎えられた理由を理解するには、まずアメリカのリアリティショー文化を知る必要がある。
共演者に靴を投げつけるアメリカのリアリティショー
アメリカのリアリティショーの特徴は「競争と修羅場と誇張」だ。派手な演出のもと、キャストたちが熾烈な競争を繰り広げ、大声で罵倒しあう修羅場を展開する。そこには明らかに視聴率稼ぎの演技が見て取れる。“演者”たちを映す番組の演出や編集もまた非常に大袈裟なものが多い。こうした「現実離れした」スタイルこそアメリカのリアリティ番組の定型なのである。
わかりやすい例を挙げると、今や音楽界のトップスターになったラッパーのカーディ・B。リアリティ番組『Love & Hip Hop』に出演していた彼女は、大声で放送禁止用語を叫びながら怒り狂い、喧嘩相手に靴を投げたり取っ組み合いをする「面白バトル」で人気を博した。
裕福なセレブ家族の生活を追う人気番組『カーダシアン家のお騒がせセレブライフ』も相当に浮世離れしている。有名なエピソードは、一家の三女クロエが刑務所に向かう車中、次女のキムがセルフィーを撮る場面。逮捕されそうな妹よりも美しい自分のセルフィーを優先するキムのナルシスト・キャラが現れたこのシーンは「視聴者が共感できる番組内容」とは真逆だ。
繊細に日常を映す『テラハ』はアメリカ人にとっても「リアル」
アメリカの人気リアリティショーは、誇張された演技や演出に満ちている。そうした番組に慣れている人々からすると、協調しあいながら質素に生活する人々をただ映した『テラスハウス』はまさに異例のリアリティショーなのだ。『テラスハウス』に住む日本の若者たちはアメリカの視聴者に親近感を抱かせるが、その一方で「リアリティ番組のキャスト」としては「衝撃的な礼儀正しさ」と受け止められる。
『テラスハウス』を絶賛するレビューが多い中、「何も起こらない必見の番組」、「カタツムリのように遅い展開」といったひねりのある褒め方をするレビューもあった(Fader)。ネガティブな物言いに見えるが、スーピディに誇張された展開を供給するリアリティショーが多い中、ゆったりと繊細に日常を映す『テラスハウス』は「切実で希少でリアルなもの」として受け止められるのだ。
加えて、入居者たちが「仕事や勉強に集中したい」「人生の次のステップに行きたい」といった理由で“卒業”していくゆるさが「競争や論理から逸脱した、マインドフルネスに重きをおいた自己探求」として受け止められ、近年米国で人気がある「禅」の「マスターピース」だという賞賛まで登場している(Decider)。