7月21日に投開票が行われた第25回参院選が終了した。与党の自民党・公明党が改選議席の過半数を上回る71議席を獲得する中、愛知選挙区では今回も立憲民主党と国民民主党の候補がそれぞれ当選。かつて「民主王国」と呼ばれた面目を保った。
一方、愛知県がお膝元の中日ドラゴンズは、「保守王国」ならぬ「捕手王国」をこれまで長きにわたって築き上げてきた(……これが言いたいがための前フリでした)。
「投手王国なら聞いたことあるけど、ドラゴンズが捕手王国だなんて聞いたことないよ!」と思う人もいるかもしれない。若いファンはなおさらだろう。Bクラスに低迷するここ数年のドラゴンズは捕手難にもがき苦しんでいる。
だが、下のリストを見てほしい。ドラゴンズは20世紀半ばから21世紀にかけての50年もの間、たった4人の正捕手でまかなってきた。こんな球団は他にない。
木俣達彦 1965~1980年 優勝1回、2位5回
中尾孝義 1981~1987年 優勝1回、2位2回
中村武志 1988~2001年 優勝2回、2位6回
谷繁元信 2002~2015年 優勝4回、2位5回
(入団年ではなく、レギュラーを奪取した年)
マサカリパンチの木俣、走攻守三拍子揃った中尾、殴られても耐え続けた頑丈な中村、とにかく強気の谷繁。まったくタイプの異なる個性的な正捕手4人によって、常に優勝をうかがう強豪ドラゴンズは支えられてきたのである。
時代は変わって2019年。「捕手王国」は依然として再建の途上にある。今季は正捕手候補としてバズーカ加藤こと加藤匠馬が抜擢されたが、現在はファームで調整中。永遠の正捕手候補、松井雅人はトレードでオリックスへ移籍。実績のある大野奨太も現時点では正捕手とは言えない状態だ。
ところが、そんな最中にドラゴンズは10年ぶりの8連勝を記録する。この間、主力捕手として頑張ったのは4年目の27歳・木下拓哉だ。抑えのキャッチャーとして出場を続ける武山真吾の存在感も見逃せない。だが、捕手陣のカンフル剤になったのは、間違いなくドラフト4位ルーキー、18歳の石橋康太である。
遠投115メートルは甲斐キャノンと同じ
7月7日に一軍登録されると、その日のうちに代打デビュー。結果はデッドボールだったが、試合後は笑顔を見せた。8連勝が始まったのはこの日からである(柳裕也の好投とヒーローインタビューでの見事な“火消し”も忘れられない)。
9日の広島戦では19歳の清水達也とバッテリーを組んで初めてのスタメン出場、10代バッテリーで勝利をもぎとった。さらに相手を突き放す2点タイムリー三塁打を放ち、塁上で雄叫びをあげてみせた。
18歳なのに、線の細さをまったく感じさせない堂々たる体躯。2000年生まれなのに、どこか昭和感が漂うルックス(解説者の野村弘樹さん曰く「野球顔」)。髪は伸ばすとクルクルになるので坊主のまま(中学時代は「スチールウール」と呼ばれていたらしい)。真っ白でガッチリした歯に、大きなオニギリがよく似合う(ような気がする)。
小学2年生で野球を始めてからずっと捕手をやってきた。野球をやっていた父と兄も捕手だったという。石橋家は家庭内捕手王国だ。
遠投115メートル、二塁送球1.8秒台という強肩が自慢。遠投の距離だけなら甲斐拓也(ソフトバンク)とまったく同じである。一軍に上がるきっかけになったのも、ファームの試合で広島の俊足・野間峻祥を刺したからだった。高校通算57本塁打のパンチ力も大きな魅力だ。
なにより、キャッチングがいい。石橋の出身校・関東一高の先輩にあたる田村藤夫二軍捕手コーチは「石橋のキャッチングの良さに、可能性を感じます」と太鼓判。構えた姿は小さな山のように安定感がある。谷繁さんも「構えがカッコ悪いというのがない。その点ではすごくいい」とベタボメだった。
身体能力だけじゃない。野球に対する意識の高さは、ドラフト1位の根尾昂に引けを取らない。関東一高時代、寮の起床は朝6時だったが、4時50分に起きてバットを振り続けた。ライバル視していた早稲田実業の野村大樹(現ソフトバンク)が1日500スイングしていると聞けば、自分には1日600スイングを課していた。初めて体験するプロのキャンプでも「自分の成長につながっているという実感があるので、苦しくても楽しみながらできています」と言ってのけた。
石橋は読書家でもある。愛読書は尊敬する古田敦也氏の『フルタの方程式』と野村克也氏の『野村ノート』。それまで経験と勘に頼っていたリードが理論的に説明されていて、確信に変わったという。高校時代、マウンドに声かけに行く目的について「投手を1人にさせないことです」と答え、リードについては「(投手の)強い気持ちを引き出すこと」「全力で投げ込める状況を作ること」を意識していると答えていた。何この子、すごい……。