畑の周辺が住宅化されると、「農作業の土ぼこりが迷惑」「トラクターがうるさい」などといった苦情が相次いだ。一方、農地を売ればカネになった。このため農家はどんどん不動産業に転換していった。
78年に就農した白石好孝さん(65)はそうした時代の波を最も受けた世代だ。
「都市に農地はいらないという時代でした」
白石さんは350年続く農家の「跡取り」として育てられ、当然のこととして農家を継いだという。だが、同級生の多くは勤め人になった。周辺の農地もみるみる減った。
「都市に農地はいらないという時代でした」と白石さんは振り返る。
「どうしたら農業を続けられるか」。白石さんは悩んだ挙げ句、「近隣住民の理解がなければ、農家は生き残れない」という考えにたどり着く。
92年、「生産緑地地区」の制度ができた頃だった。この制度は「都市から緑をなくしていいのか」という問題意識を持つ農家の運動が原動力になってできた。生産緑地に指定されると、30年間は農地として維持しなければならないが、宅地並みの課税が軽減され、相続税も猶予される。つまり農業が続けられる。
壊されたり盗まれたりしないのか?
「しかし、白石さんら当時の運動に携わった農家は『生産緑地地区の制度だけでは農業は消える。近隣の住民をどれだけ味方にできるかが鍵だ』と考えました。農作物を市場に出荷するだけの農業では、近隣住民との接点はありません。では、朝穫れの野菜を畑で直売したらどうか。美味しいと喜ばれるし、食生活に農地が必要だと分かってもらえます。こうして庭先販売や自販機が広がっていきました」と区役所の都市農業課、澁谷悠万主査が説明する。
だが、盗まれるなどしないのか。
「関西には、野菜の自販機が広まったのに、壊されて現金や野菜が盗られる事件が相次ぎ、廃れてしまった地区もあるようです」と澁谷主査は話す。
確かに練馬区でも防犯カメラをつけている農家がある。「100円なのに10円しか入れない人がいる」と漏らす80代の農家にも出会った。それでも、続いている。
「そもそも近隣の住民と良好な関係を結ぶために設置したのです。悪事を働くより、私達の思いに応えてくれた人が多かったのです」と話す農家もいた。
年間3万8000円の「農業体験」が人気に
白石さんも、もちろん畑の前に自販機を置いた。が、それだけに止まらなかった。96年には区役所と一緒になって「練馬方式」といわれる新しい「農業体験農園」を生み出した。
農業を理解するには体験が一番だ。しかし、畑を貸し出そうにも、生産緑地に指定されると、貸借が許されなかった。
そこで貸すのではなく、年間3万8000円(区外の人は5万円
に、30平米程度に小分けした区画を、農家の指導のもとで作って
た。これだとむしろ農家との交流の場になる。