3K、高齢化など衰退産業の代名詞のようにみなされてきた日本の農業。しかし、この常識はいま変わりつつある。希少で高品質な産品に特化したり、最新テクノロジーを導入したり、といったこれまでの常識とは違うやり方で高品質の商品、サービスを生み出す生産者たち。日本各地にいるこのイノベーターたちにせまった『農業新時代』から“梨園”を家業から事業に変えた一例を紹介。
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「畑に入らないマネージャー」がやったこと
2014年、阿部梨園に加わった佐川友彦は、「畑に入らないマネージャー」として経営と業務の「カイゼン」を担ってきた。ユニークなのは「カイゼン」の提案とマネジメントに特化してきたことだ。大小さまざまなカイゼンの数は、なんと500を超える。
たとえばタブレット端末の導入もそのひとつだ。若いスタッフがお客さんに対応する売り場をみていると、お客さんが台の上に置かれた梨を選び、現金を手渡す、一見、昔ながらの風景のなかに、ひとつ明らかに異なる点がある。彼らスタッフはタブレット端末を軽快に操りながら、売り上げを管理しているのだ。
佐川の加入以来、阿部梨園の直売率は約80%から99%まで伸びた。農協に納める通常のルートと比べて直売は圧倒的に利益率が高く、売り上げも伸長。もともと2.6ヘクタールある梨園の拡大を進めている……と書くと、佐川がなにか特別な手を打ったように感じるかもしれないが、そうではない。
佐川がもたらしたカイゼンは、どこの農家でも取りいれられるものが多い。むしろ、ひとつひとつはシンプルかつ小さなカイゼンの積み重ねとしての直売率99%と言える。見方を変えると、日本の農家はまだまだカイゼンの余地が大きいということだ。
東京大学農学部を卒業後、外資系メーカーを退職し、梨園へ
佐川は何をしたのか。それを紹介する前に、佐川がどんな人物で、どんなキャリアを歩み、なぜ縁もゆかりもなかった阿部梨園で働いているのかを記そう。
東京大学農学部で地域環境工学を学んだ佐川は2007年、同大大学院に進み、農学生命科学研究科の修士課程を修了した。2009年に大学院を出て、外資系化学メーカー大手のデュポンに就職。太陽光パネルの素材の研究開発を行う部署に配属された。しかし、20年先を見据えるような長期的プロジェクトは肌に合わず、そういった研究を自社の利益に結びつけなくてはいけないという重圧もあり、体調を崩した。その時に立ち止まった。
「人生設計を見直そう」
4年働いたデュポンを辞めた佐川は、次に何をするかも決めず、宇都宮に移り住んだ。
「宇都宮はデュポンでの最初の2年間住んでいたんですけど、その時にローカルな友達ができたんです。じゃあまずは宇都宮に行ってみようって」
この時の佐川は、いつの時代にもよくいる、夢破れた若者のひとりだったのだ。