「今が一番いいんです」。そう言ったのは、2018年BCリーグ終盤の秋のことだ。

 日本ハムからトレードで巨人に移籍し、戦力外となった乾真大。その名を知ってはいたが、富山GRNサンダーバーズで初めて投球を見た時、こんなに良い投手だったかと驚いた。それでも本人によれば、2018年前半は試行錯誤の途中でさほど良くなかったという。NPBを戦力外になり、環境が厳しいはずのBCリーグで投げる投手が、自信を持って「NPB時代よりずっといい」と言う。それは何故なのか。

NPBに戻るため、自分を変えた2018年

 乾真大は、2010年ドラフト3位で日本ハムファイターズに入団した。東洋大姫路から東洋大を経てという進路はヤクルトの原樹理と同じだが、聞けば意外な繋がりがあった。

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「樹理ね、小学校から一緒です。歩いて7分くらいの近所。樹理のお兄ちゃんと同級生なんです、僕」

 原樹理がプロ入りした時は、一緒に自主トレが出来ると喜んだという。その樹理がヤクルトで伊藤智仁投手コーチと出会い、片や乾がBCリーグで伊藤智仁監督と出会う。何とも不思議な縁だ。

富山GRNサンダーバーズ時代の乾真大 ©HISATO

 2018年は、NPBに戻るため、それまでの自分を変えることから始まった。NPBではほぼ中継ぎだったが、伊藤は乾を先発に抜擢した。「リリーフだと球の力だけで抑えちゃうから。お前のレベル、お前のボールの質なら、先発やって覚えよう」と。

「オープン戦で先発やってみたんですけど『なっがぁー!』って(笑)」

 先発なら試せることは多い。ほぼストレートとスライダーしか持ち球がなかったところ、シンカーやツーシームを、実戦で使いながら習得した。

「打たれてもいいから何でもやれ、と言ってくれて。それがありがたかったです」

 練習も大幅に変えていた。

「細かい練習は省いて、その分を全部キャッチボールにあてました」

 ブルペンすら週1回20球程度。とにかくキャッチボールに全神経を込める。ただ投げるのではなく、目的を持ち、こういう球を投げる、スライダーならこういうスライダーを投げる、と意識する。

「NPBの一軍でずっと活躍している人は、キャッチボールがちゃんと出来る人。すごい人ほどシンプル。武田勝さんとかそう。キャッチボールめっちゃ丁寧なんです。綺麗だし。勝さんと武田久さんでいつもキャッチボールしてたんですけど、そのキャッチボールが芸術で、ずっと見てた」

 キャッチボール重視は奏功し、実戦で球種を増やすことも出来た。失敗と成功を繰り返しながら自分のピッチングを作っていき、シーズン最後には「一番いい」と思える形が出来ていた。チームも後期優勝。皆で頑張り、皆で喜びを共有して野球を楽しめた。

「去年はすごく気持ち良く野球が出来る環境。今年はすごく野球を勉強出来る環境」

「細かい練習は省いて、その分を全部キャッチボールにあてました」 ©HISATO

選手兼任投手コーチとして過ごした2019年

 2019年、富山は二岡智宏を監督に迎えた。乾にとっては日ハム時代の先輩で、巨人時代はコーチと選手だった。二岡の希望で、乾は選手兼任投手コーチとなる。二岡は投手を乾に一任した。全試合分のスケジュール、先発と継投のプランを考える。ある程度のプランは立てても大体その通りにはいかない。そのための策も立てる。投手の様子にも注意する。

「もう頭の中ぐるんぐるん。3年分くらい考えました」

 自らは開幕投手も務め、先発でスタートしたが、苦しい時にはリリーフや抑えに回った。投手陣が安定しない時は頻繁にマウンドに上がることになった。

二岡智宏さんとのツーショット ©乾真大

「投手の起用は僕が考えてましたけど、僕の起用は監督に任せてました」

 コーチをしながら投げる準備をする。時にはブルペンから投手のもとに駆けつける。連投も辞さない。それでも自分まで繋げば何とかなったし、連投が嵩んでも体の不安はなかったという。

「僕は投げて当たり前」

 疲れた時、悪い時にも、自分なら対処法が分かる。若手に故障だけはさせたくない。そこは特に気を配った。前期優勝を逃した時も、ダメージを受けた選手たちの、気持ちと体のズレを危ぶんだ。過密日程も重なる中、怪我だけはさせないように、監督にもこの時期の連投は自分だけで、と頼んでいた。

 コーチ、という意識は特別ない。

「自分があれやれこれやれ言われるの嫌いなんで」

 やれと押し付けはしない。気付いたこともすぐには言わない。相談されればヒントは提供し、提案して一緒に考える。選手には、自分で考える力、何があっても自分で立ち直れる強さを身に着けて欲しかった。

「コーチとしては、選手が僕に何も求めずに、そのままNPBに行ってくれたら、それが一番です」