たくさんの笑顔に送られた幕引き
迎えた9月26日は戸田球場でのイースタン最終戦。この日の午前の練習では、三輪の現役最後になるバント練習があった。いつもと違うムードが漂い、鉄の扉の前は、それを見ようとする人垣が幾重にもなる。けれども三輪は、いつものように淡々と練習を終えた。試合ではスタメンセカンドでフル出場。神宮での引退セレモニー後にイースタン・リーグ公式戦は4試合あり、三輪は実に4試合とも出場している。これが、正真正銘の引退試合だった。
ネット裏の座席には、ファンの手によって、三輪のタオルやユニフォームが、花飾りやテープ、背番号を書いた風船などとともに飾られていた。「ありがとう三輪選手」の文字も見える。
ヒットこそなかったが、セカンドの守備機会は多く、三輪はスムーズに守備をこなしていく。第4打席に立つ三輪に、万感を込めて拍手と歓声が飛んだ。幾人かのファンが誘い合って応援歌を歌い出す。その声は少しずつ大きくなり、手拍子とともに広がっていった。
「勝利と言う名の 正義の為に 異次元のスピードで 今だフィールド駆けろ」
この年、一軍の試合では歌われなかった歌が、現役最後の打席でファンから贈られた。戸田球場の座席とグラウンドは近くて、三輪の声はいつでもよく聞こえたから、きっとこの歌も三輪の耳にしっかり届いたに違いない。
試合はヤクルトの勝利で終わり、高津二軍監督の挨拶があった。三輪はここでも花束を贈呈され、チームメイトの胴上げで送られた。試合後、100人あまりものファンが三輪を待っていた。出てきた三輪は一人ひとりにサインをし、写真撮影に応じた。並ぶファンの列は終わらず、長い長い時間がかかった。全ての人にサインを終えると、大きな拍手が起こった。居並ぶファンに家族とともに挨拶をして、そうして三輪の現役生活は終わった。一軍でも二軍でもたくさんの人に囲まれ、たくさんの笑顔に送られた幕引きだった。
球団広報としてのリスタート
引退した三輪は、この1月から球団広報としての仕事に就いている。2020年1月9日。戸田球場での新人合同自主トレに、スーツ姿の三輪が現れた。ビデオカメラを片手に、動線に注意しながら新人たちの姿を撮っている。慣れた場所のはずなのに物慣れない様子が初々しかった。
いずれ指導者にという希望はある。だが、三輪は「まずは球団への恩返し」と球団に残ることを優先した。初めての仕事に挑戦することになるが、何しろヤクルトの広報だ。さっそく学校へ行き、子供たちへの指導をする姿が伝えられた。オフにはスワローズジュニアの指導にあたるかもしれない。また三輪のユニフォーム姿を見られる機会はあるだろう。いつかはヤクルトでコーチとしての姿が見られれば言うことはない。戸田で、神宮で、ファンは心待ちにしている。
ガソリンスタンド勤務、軟式野球、四国独立リーグ。異色の経歴は、そのまま多くの人との縁であり経験で、それが多彩な三輪正義を作った。決して忘れることのできない選手。無類のユーティリティ性を持つ職人。いじりいじられまくった稀代のエンターテイナー。もう「異次元のスピード」は必要ない。速度を落とし、ゆっくりと、三輪正義は再び走り始める。
視野を広げ、色々なものを見て聞いて、経験しながら。球団へ、後に続く後輩へ、幾多の人々へ。たくさんのものを返し、与え、自分もさらに豊かになって。掲げた夢は、これからもフィールドを駆け続けるのだ。
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