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優しく、粋だったミスタードラゴンズ・高木守道さんはいつも笑っていた

文春野球コラム ウィンターリーグ2019

2020/01/24

 1月17日午前4時3分。高木守道さんがこの世を去った。訃報を聞いた瞬間は耳を疑い、言葉を失い、心の整理が付かなかった。

 私は現役時代の高木さんを知らない。あのバックトスも過去の映像でしか見たことがない。職人、寡黙、短気、悲運。様々なイメージがあるが、私の中の高木さんは常に「笑顔」だ。解説者としてお世話になり、監督として取材をさせて頂いたミスタードラゴンズはいつも優しく、粋だった。

 2006年春。私は中日ドラゴンズ応援番組「サンデードラゴンズ」の司会を担当することになった。当時、入社9年目の30歳。緊張と不安で毎週日曜日を迎えていたが、高木さんの笑顔に心が和んだ。名物コーナー「高木チェック」ではドラゴンズ選手の守備を辛口解説。高木さんに「ファインプレー」と「普通」の札を渡し、「これぞプロの技」と唸れば、「ファインプレー」の札を挙げてもらう企画だったが、ほとんどが「普通」。お眼鏡にかなうプレーは年間5つもあっただろうか。

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 当時はアライバコンビをはじめ、ゴールデングラブ賞を受賞した選手が数多く在籍していたが、「どこがファインプレー?」「イージー、イージー」「1歩、多いね」と手厳しかった。「今のはさすがにファインプレーでしょう」と迫っても、「横っ飛びするということは足が動いていない証拠」と一刀両断。ただ、直後にニヤリと口角を上げる。そのお茶目な表情は今でも脳裏に焼き付いている。

「サンデードラゴンズ」(CBC)でドラゴンズ選手の守備を辛口解説していた高木守道さん

若狭投手vs.1番セカンド高木守道

 この頃、私は高木さんと草野球で対戦したことがある。愛知県内の草野球ナンバーワンを決める「ドラゴンズカップ」という大会があり、私の所属するチームがベスト8に進出した。そこで上位8チームで選抜チームを作り、ドラゴンズOBチームとエキシビションマッチをすることになった。私は選抜チームの投手としてナゴヤドームのマウンドへ。打席には「1番セカンド高木」が入った。

 実は試合前、高木さんと約束をしていた。「ストレートなんて速くて当たらんから、全部スライダーで」とリクエスト。「伝説の名選手に投げられるだけでも光栄。エキシビションマッチに勝敗は関係ない。スライダーを綺麗にライト前に打たれよう」と私は快諾していた。しかし、本番になると、あの独特のやや前かがみになる高木さんの構えに迫力、凄み、オーラを感じ、完全に手元が狂った。全く変化しない中途半端な球が真ん中へ。結果はセカンドゴロ。高木さんは「あれスライダーかね。全然、曲がっとらんがね」と白い歯をこぼした。頭をかく私にベンチ前で「いいよ、いいよ」と手を挙げた。やはり私の中の高木さんはいつも笑っている。

 シーズン中、高木さんは野球中継の解説をする日、ナゴヤドームのホットドッグを実況アナウンサーやスタッフに振る舞った。「今日、高木さんだよ」「じゃ、あとで行こうか」。これが我々のお決まりの会話だった。ベンチレポーターや取材だけの担当でも、ご相伴に与ろうと放送席に足を運んだものだ。「若狭くんも来てたんかね。どんどん食べて」。高木さんと多くのアナウンサーがホットドッグを頬張りながら、談笑する風景が日常だった。

 みんなでワイワイ。もてなすときは豪快に。これが高木スタイルだ。第2次政権を終えた2013年秋、高木さんは全てのCBCスポーツアナウンサーを自宅に招いた。

「2年間、ありがとうございました。今日は遠慮せず、何でも飲んで、何でも食べて」

 テーブルには豪華な料理が並んでいた。中央にはふぐ鍋。また、お酒を一滴も飲まない高木さんは「銘柄がよう分からん。とりあえず、好きなものを飲んで」とクーラーボックスを出してきた。中には缶ビールがぎっしり。酒屋にあったほぼ全種類のビールを買ってきたのだった。

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