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花粉症で引退した男、田淵幸一さんに聞く“鼻水との長い戦い”

文春野球コラム オープン戦2020

2020/03/05

現役引退後も症状は治まらず……

 田淵さんは、花粉症患者の中でもかなり重症の部類だったのだろう。この年、打率.230、14本塁打に終わった田淵さんは16年間の選手生活にピリオドを打つわけだが、花粉症の発症後はまだ屋根がなく、周囲を林に囲まれ、なおかつ秩父おろしの風が吹く西武球場の環境もかなりしんどかったのではないだろうか。

「まあ、それも一因だと思うよ。だからオレより少し後に秋山(幸二)も花粉症に罹って苦しんでいた。もっと後になったらゴジラ松井(秀喜)も春先は辛そうだったし、巨人の江川(卓)もそう。でも球界ではオレが一番最初の花粉症患者よ。昔、何かの事典の花粉症の項目に“田淵幸一が発症したことから世に知られるようになった”って出ていたらしいから(笑)。でも当時は何しろ情報が少ないから、いろんな先生に話を聞いたり、本を読んで勉強したりと、藁をも掴む思いで症状を良くしようと必死だったよね。人づてにコーヒーが花粉症に効くと聞けば試したし、あとは鼻から水を入れて口から出して、鼻の通りを良くする方法も人から勧められた。さすがにそれだけは試す勇気が出なかったなあ」

「球界ではオレが一番最初の花粉症患者よ」 ©文春野球

 現役を引退して評論家になってからも、花粉症は田淵さんを悩ませた。

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「現役時代は西武球場に近い所沢に住んでいたけど、評論家になって数年後に今の杉並の家に引っ越したのよ。で、引っ越して2年目の春、夜中に寝ていたら急に鼻水が止まらなくなった。ティッシュで何度かんでもとめどなく鼻水が出てきて一睡もできない。さすがにまずいと思って所沢時代にお世話になっていた病院の先生に“どうにかしてくれ”と電話して、真夜中に杉並から所沢までクルマを飛ばして、点滴を打ってもらったことがある。するとあっという間に鼻水もスッと治まるから、朝まで病院のベッドで気持ちよく眠ってまたクルマで帰っていく。そんなことが何度もあったね。あの点滴はたぶんステロイド剤だったけど、今の基準だと野球選手が打ってはいけない薬だよな。ドーピングに引っかかっちゃう」

 2月といえば評論家のキャンプ地巡りの季節である。特にスギ林が周りに多い球場は、花粉症患者にとってはなかなかしんどい環境である。

「広島カープの宮崎・日南あたりはいつ行っても花粉がキツかった。ひどい時は黄色い粉が舞っているのが見えるんだから(笑)。ダイエーの監督をやっていた頃、福岡は毎年それほど花粉が辛いとは感じなかったけど、宮崎はスギ林が多くてね。でも沖縄はスギ林がないから一切症状が出ない。毎年2月の後半に沖縄のキャンプ地巡りをするけど、その1週間だけは花粉なんて何も気にせずに過ごせる。最高だよ」

「沖縄はスギ林がないから一切症状が出ない」 ©文藝春秋

 近年は効き目の強い薬が出てきたこと、さらに田淵さんは主治医の助言によって毎年12月頃から薬を服用する習慣がついており、以前ほどひどい症状に悩まされることはなくなったという。

「つまり、年を取ったってことだな(笑)。オレはいち早く世間に花粉症の名を知らしめたのもそうだし、バッターに耳当てヘルメットの着用が義務づけられるようになったのも、昭和45年に広島の外木場(義郎)さんから頭にデッドボールを食らったのがきっかけ。オレがきっかけって話は結構多いんだよ。でも今考えると昭和30年代なんてヘルメットも被らずに平気で打席に立っていたんだからすごい話だよな。ある選手なんて帽子の内側に段ボールを張り付けてヘルメット代わりにしていたって言うんだから。さすがに王さん、長嶋さんは早くからヘルメットを被っていたらしいけどね」

 そう朗らかに話す田淵さん。3月は全国的にスギ花粉のピーク。ちょうどこの5日、6日は東京や名古屋、大阪で花粉が大量飛散するとの予報が出ている。症状は和らいだとはいえ、まだこの時期ティッシュを手放せない偉大なホームランアーチストに、一日も早くマスクが渡ることを願うばかりである。

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