「早く家に帰りたい」「早く友達に会いたい」
臨時学級では最終日、皆で近くの神社を訪れ、花見をした。この時、大きな紙に1本の桜の絵を描き、全員が「夢」を書き込んだ。
「早く家に帰りたい」「早く友達に会いたい」
ほとんどの子がそう書いた。
「これは普通の子の夢ではありません。初めて見た時、ショックを受けました」と筑波学芸員は語る。
会場では昨年、会津若松市の子供や同市へ避難していた小学生に書いてもらった夢も展示している。これには「ケーキ屋さんになりたい」「やさしいかんごしになりたい」「アイドルになりたい」などといった文言が並ぶ。「あまりに違います。原発事故直後の子供達がどれほどの困難に直面していたか、どれほど抜け出したいと思っていたかが痛いほど分かります」と筑波学芸員は言う。
教師が黒板に残したメッセージ
同博物館は、子供達が逃げた後の学校の黒板に何が書かれていたかについても保存しており、会場では映像が流されている。
避難指示区域には放射線量が高い地区があったので、妊婦や15歳未満の立ち入りを制限する自治体が多かった。このため、黒板に記したのは主に教師だ。必要な物を取りに立ち入った時、いきなり別れることになった教え子に向けて、メッセージを書いたのだと見られる。
「ごめんなさいね。
おわかれの言葉・
あいさつもなく…ね。
これからも
がんばって下さい。
いつかどこかでまたお会いしましょう」
この文章が書かれた同県富岡町の町立富
「もと富二小五年二組のみんな。
みんなの小学校の卒業式が見られなかったことがとても残念でした…。
また元気に会いましょう!」
子供達は散り散りに避難したため、一緒に卒業できなかったのだ。当時の小学5年生は今年、
「きょうで最後です。さようなら」
立ち入った時ごとに、3回も記した教諭がいる。
「2011.6.12(日)
3か月ぶりに教室に
もどってきました。
卒業制作、持ち帰りたいね」
「2013.7.26(金)
1年半ぶりに来ました。
卒業制作の写真立てと家庭科の作品…
持っていける人は、さがしていってね」
「2015.11.22
きょうで最後です。
さようなら 富二小」
「先生達はどんな気持ちで書いたのでしょう。読むだけで切なくなって、涙が出ます。できれば、メッセージが書かれた黒板そのものを保存したいのですが、まだ方針が決まっていません」と筑波学芸員は話す。