その後も募金活動、チャリティーイベントへの参加など、関西からできることを行った。17年からは1勝につき義援金を、1奪三振につき少年野球チームへ軟式球を寄贈する支援活動も開始。毎オフ、義援金を益城町に足を運んで届けている。日を追うごとに再生する町の様子を確認できる一方で「まだまだ復興している途中」と被災地の厳しい現実も目に焼き付けてきた。
ずっと変わらない決意を胸に
まだチームが活動休止中だった4月14日の夜、岩貞からLINEが届いた。「熊本でオールスターやった時の僕の写真ありますかね?」。熊本地震からちょうど4年の日だった。節目の日。インスタグラムに復興を目指している地元の人たちへ向けてメッセージを投稿するため、18年に出場した藤崎台球場(熊本)での写真を添えたいとのことだった。
すぐにスポニチのデータベースを検索して、マウンドで力投する姿や、同世代の大瀬良と談笑するシーンなど数枚送信。それでも2時間後、「投稿しました」と返信があったのは日付が変わる3分前だった。家族、友人……4年前の変わり果てた地元の姿に思いを巡らせながら文字に落とし込む作業は思った以上に困難な作業だったのだろう。痛みと失意を知るからこそ、軽はずみに「熊本のために」とは書けなかった。熟考の末、記した文章は自分自身が手にする「無形の力」から始まり、決意で締めくくられた。
“まだまだ復興途中ですが、帰省する度に、熊本のみんなの笑顔に元気をもらっています!マウンドから笑顔と、勇気を届けられるよう全力で腕振って投げます!”
12日のDeNA戦では8回無失点の快投で2勝目。有観客の聖地でお立ち台に立つと「登板前から地元の同級生とかから、そういう(熊本へ元気を届けてという)ラインがきてたりしたので、そういう思いも背負って投げて勝つことができたので良かったです」と言葉に力を込めた。「今回(の豪雨)で言えばそんなに親族のほうは被害はなかったんですけど、やっぱり知ってる町ですし、苦しい局面にいるというのは、同じ熊本県民として心苦しいものがあるんですけど、こうやって野球を見てくださる熊本の人のためにも、必死でやるしかないと思います」。
「背負う」という表現とは少し違う気がする。離れていても、痛みも感じるし、みなぎるものもある。4年前から岩貞にとって熊本は、より身近で思いを寄せる存在になった。力をもらい、与えたい場所。ずっと変わらない決意を胸に今年もマウンドに上がる。
チャリコ遠藤(スポーツニッポン)
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