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私と父と高橋慶彦――初めて野球選手としての父を見た日のこと

文春野球コラム ペナントレース2020

2020/07/16
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人生で初めて「野球選手としての高橋慶彦」を見た日

 コーチ時代も家族を試合に呼ぶことがまったくなかった父ですが、唯一、私たちを招待してくれた試合がありました。2008年に広島市民球場で行われた「カープOBオールスターゲーム」です。中学生だった私には「OB」の意味も、なぜ家族が呼ばれ、なぜベンチに入って試合を見ているのかもまったく分かっていませんでしたが、父はいろんな人たちに「俺の娘です」と恥ずかしそうに紹介。当時の私が分からなかっただけで、そこには山本浩二さんや衣笠祥雄さんを始め、すごい方々がいらっしゃいました。みなさんとても優しくて、たくさん声をかけていただいた記憶があります。

 それまで父のユニフォーム姿をほとんど見たことなかった私は、この日、人生で初めて「野球選手としての高橋慶彦」を見ました。野球選手といっても現役引退から十何年も経っていて父は立派なおじさんでしたし、父がスポーツしているところなんて幼稚園の運動会の保護者リレーで狭いコースを窮屈そうに走っていた姿しか見ていないので、私は子供ながらに「絶対ケガする……」とハラハラでした。いつもと雰囲気が違う父に、私の方が緊張してしまっていたのです。

 しかし。父は私の予想を裏切り、それはまあ楽しそうに、つねに笑顔で元気に暴れていました。打席に立った父がヒットを打ってファーストに向かうと、客席のあちこちから「走れ~ヨシヒコ~!」という大声が聞こえて、私は最初めちゃめちゃ怒られているのかと勘違いして怖がっていました。しかし、父が盗塁をする仕草を見せると会場から割れんばかりの大歓声が起こったので「ああ、応援してもらってるんだ!」と安心しました。父の走りはお世辞にも俊敏というわけではなかったですが、とにかく誰よりも楽しんでいたのだと思います。

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 その日、父はMVPに選ばれました。まわりの選手たちに恥ずかしそうに会釈している姿はとても可愛らしかったです。そして泥だらけのユニフォーム姿で、ベンチにいる私に「雛子、ほら」とMVPの賞品を渡してくれたのですが、中身は商品券で、子供の私は本当に嬉しく、帰り道も大事に持っていました。そんな私を見た父が「なに買うんや〜?」と、自慢げで嬉しそうな顔をしていたのを覚えています。このコラムを書かせて頂くにあたり、先日、父に改めてOB戦当時の心情を聞いてみたところ「カープのユニフォームを着れて楽しかった」と言っていました。当時の新聞には「僕は引退試合をしていない。ファンのみなさんのおかげで、今日は僕にとっての引退試合になった」と書かれていたそうです。これまで家庭に野球の話を持ち込まなかった父が私たち家族を呼んでくれたのは、野球人としての姿、なにより「カープの高橋慶彦」を見せたかったんだな。いまさらですが、父のカープへの想いを感じます。

現役時代の高橋慶彦 ©文藝春秋

 皆さまもご存知のとおり、父は様々なタイミングもあってカープからは離れてしまいましたが、父のファンの方に会うと、皆さんが口を揃えて「カープに戻ってきてほしい」と言ってくださいます。私も、あの真っ赤に染まった球場と、その球場のベンチやグラウンドにいる父の姿を想像することがあります。いつも父に温かい言葉を送ってくださるみなさん。カープに戻ってきてほしいと言ってくださる皆さん。僭越ですが、娘の私から言わせてもらいます。父もずっとそう思っていますよ。

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