文春オンライン

「時代が求める“高嶺の花”を演じるべきだったけど……」君島十和子が語る、所在なかった20代の頃

彼女がそこにいる理由——ジェーン・スー #1

source : 週刊文春WOMAN 2019GW号

genre : エンタメ, 芸能, ライフスタイル, テレビ・ラジオ

note

所在ない顔をした美人だった20代

「これまでは本来の自分を出す場所もなかったですし、出して良い立場でもなかったように思います。表面的なキレイだけを見せていても人はついてこないでしょうし、そんなのはもうタイムリミットがとっくに過ぎている。もっと本音のところ、人間としての面白みを出していかないと」

 右も左もわからぬまま商家に嫁いだが、今や立派なビジネスウーマンだ。よく手入れされた庭に咲く花のようなたおやかさは昔と変わらないものの、それは風に揺れる可憐な花でも、支柱なしでは倒れてしまう人工的な花でもない。土中にしっかりと根を生やし、自らの力で咲き誇る大輪の花だ。

 芸能人だった頃の吉川十和子は、所在ない顔をした美人だった。

ADVERTISEMENT

「20代って、若くて綺麗な時期のはずですよね。でも、その頃の写真を見ても、自分らしいとも綺麗だとも思わないんです。写真の向こう側、カメラマンやスタッフの表情ばかりが思い出されて。どんな気持ちでスタジオに行ったとか、不安だったことばかり」

©️iStock.com

 52歳になった十和子の顔には明瞭に「私には伝えたいことがある」と書いてある。居場所を見つけた者の顔だ。

宝塚歌劇団にあこがれた女子校時代

 1966年5月、十和子は豊島区で生まれ、幼稚園から高校までを日本女子大学の付属校に通った。

「女子校の良いところは、ひとつの目的に向かって、全員で同じスタートラインに並び、自分が何をすべきか夢中で考えるところ。男女の役割分担も当然ながらない」

 小学校高学年になり、宝塚歌劇団に出会った。『ベルサイユのばら』や『風と共に去りぬ』に胸を焦がし、いつかあの舞台の一部にと願うようになる。

「子どもの頃から様式美が好きなんです。私の根底には、決まった形式の中の表現に共鳴するなにかがあります」

 母からはもう間に合わないと言われたが、諦めきれず宝塚受験の教室へ電話を掛けた。「一度、見学にいらっしゃい」と言われたが、行けなかった。

 思春期の十和子には、大切な決断をすべき場面で二の足を踏む癖があった。

©️iStock.com

 引っ込み思案になったのには理由がある。いつからか、皆と同じことをしても自分だけが目立つようになったからだ。

 こんなこともあった。

「知らない人に道を尋ねられ答えていると、最後には『お名前教えて』と言われるようなことが一度ではなかったので」

 小学校6年生のことだったと言う。人より美しく生まれると、時に他者と分かち合いづらい残酷な経験をひとりで抱えることにもなる。

 その後、「一歩踏み出さなかった後悔」が拭い去られることはなかった。だから、両親の反対を押し切り大学進学を諦め、キャンペーンガールになった。