2020年8月11日。
本来ならば東京オリンピック2020の閉会式直後になるはずだったこの日、国立演芸場で「日本博寄席2020」という、今現在の落語界を牽引する各協会の師匠方が一堂に会する落語会がありました。
落語協会からは柳亭市馬会長と柳家さん喬師匠。落語芸術協会からは春風亭昇太会長。圓楽一門会からは三遊亭圓楽師匠。落語立川流からは立川談春師匠。
そして、私が所属する上方落語協会からは現会長の笑福亭仁智師匠と副会長の桂米團治師匠、さらに前会長の桂文枝師匠が参加するというまさにビッグイベント。ありがたいことにワタクシ笑福亭べ瓶、そんな落語会のトップ出番をいただいておりました。
丸一日こういった師匠方と楽屋でご一緒する事ができたので、いろんなお話ができましたし、各師匠の高座も舞台袖から勉強させていただき、すごく濃い一日となりました。
ただ、本来なら超満員のなか、祝賀ムード満載で行われるはずだったこの落語会もソーシャルディスタンスで客席が半分になり、祝賀ムード満載どころか自粛ムード満載の会となってしまった事が残念でなりませんでした。
この日もそうでしたし、僕が最近感じるのは、やっぱりお客様の顔がマスクで見えないというのがボディーブローのようにじわじわ効いてきているということ。笑い声があっても、そこにお客様の笑顔が見えないというのは、舞台から見ているとやっぱり寂しいんです。もちろん、無観客のころに比べればやりやすいです。だけど、なんか寂しい。
僕は毎回同じネタを同じようにできるタイプの落語家ではなく、その日の気分でやり方や、入れ事が少し変わってしまうほうでして、それだけに日頃のモチベーションの維持というのがいかにお客様の笑顔によって支えられてきたかというのをヒシヒシと感じます。
やっぱり空席が目立つよりも満席の方がモチベーションは上がるし、お客様の空気にのせられて、普段の自分以上の力が出せたという経験を何度かしてしまったことがある以上、この寂しさをはねのけるには相当な時間を要するのではないかと思っています。
観客動員数というのは演者のモチベーションに直結します。
「いつもと違う」観客制限は選手にとってやりにくい
規模は全く違いますが、それは落語も野球も同じだと思っていて、プロ野球での今の観客制限5000人というのは選手にとってはやっぱりやりにくいんじゃないかなと思いながら僕は毎試合観戦しています。
「いつもと違う」。こう思った瞬間、人間は誰しも萎縮しますし、その違和感に慣れるまでには時間を要します。
すぐに慣れる人もいれば、時間がかかる人もいるでしょう。そういう目で見ていて、最近気づいたことがあります。それは、「コロナ前と同じ雰囲気作りをしてるチームが好調」だということです。
現在首位のジャイアンツ。録音されたチャンステーマや応援歌が結構大きめの音量で流されていて、それに合わせて観客が手拍子しています。狭いドームなので音がこもるし回るので、そのぶん観客が5000人でもなんか今までとあまり変わらない空気感になっているのではないでしょうか。
無観客の時の打球音や捕球音が聞こえるあの感じが好きだったので、個人的には「なんか野暮なことしてるなぁ」と思いながら観てたんですが、それはイチ客目線であって、演者(選手)目線で見た場合、今までとの違和感を感じる度合いが一番少ないんじゃないでしょうか。
現に今季のジャイアンツは東京ドームで17勝8敗1分(8/2
応援歌やチャンステーマを流すといったことは一切していないし、ファンが自発的に手拍子でチャンステーマの夏祭りやその打者に合った手拍子で応援しています。
山田哲人なら、「チャチャッチャチャッチャ(やまーだてつと)」。川端慎吾なら、「チャチャチャチャ、チャチャ(かわばた、しんごっ)」みたいな。
そう、一番コロナ禍に見合った雰囲気になっているのが神宮球場なんです。ある意味、一番ちゃんと「withコロナ」してる。一番ちゃんとしてるからこそ、一番違和感を感じやすいのではないでしょうか。