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2007年の神田伯山と柳澤健

伯山 柳澤さんのアプローチというのは、従来のプロレスマスコミと異なるわけですよね。

柳澤 プロレスマスコミというのは完全に脚色芸なんですよ。全盛期の「週刊プロレス」は、本物のプロレスよりも記事の方が面白かったという話はよく聞きます。当時の週プロは、記者が全員、芸を競っていたでしょうね。僕の場合は、ファクト(事実)をまず探す。ファクトを見ていくと、「なにこれ、脚色芸よりはるかに面白いじゃん」というラインを見つけていくわけです。たとえば「プロレスなのに、どうして相手の目に指を入れないといけないわけ?」とか。

伯山 あはは。なるほど。

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柳澤 僕が『1976年のアントニオ猪木』を出したのが2007年なんです。この年は新日本プロレスがどん底だったんですよ。もう格闘技の勢いにボカスカやられていて。

伯山 私が入門の年ですから、よく覚えています。

 

柳澤 僕もそんな空気感の中で書いていました。そこから棚橋と中邑が新日本プロレスを立て直すなんて、全然思っていなかった。すべてを見通しているかのように書いていますけれど、実際はそうではない。僕もまた時代から脱却はできないんです。ほかのライターより全体を広く見ようとしているだけなので。

伯山 やっぱり事実の裏付けが必要なんですね。プロレスの専門記者でしたら、いちいちレスラーの発言の裏はとらないでしょうし。

柳澤 それはあるでしょうね。

伯山 むしろ真実をぼかすというか、そこは書かずに行間で読ませるみたいなところもありますもんね。ある意味、それがプロレス文化を支えていたところもあると思うんです。でも柳澤さんはそこをぼかさずにファクトで埋めていくという。それもまた、プロレスと格闘技の歴史に近いというか。いつまでもぼかしながらやっていける時代ではなくなってきたと。