誰が居ないかはすぐにわかった。波川八郎という伍長と宮野大三郎という上等兵と丹野吾一上等兵の3人であった。丹野はその日苔取りの作業にきていた。わたしは一瞬どきっとした。いつか便所の中で聞いてしまった話が思い出された(※1)。しかしわたしはつぎの瞬間、自分の想像を否定した。
――いや、どこか近くに用便にでも行ったのだろう。それとも谷にすべり落ちたか、道に迷ったのかな。
(※1)著者はかつて便所に寄ったとき、丹野が他の2名の兵士と脱走計画について話しているのを耳にしていた。
「ナミカワー、ミヤノー、タンノー!」
トカレフはきびしい顔になって、部下の歩哨に付近を捜索させる一方、ひとりを収容所のそばの歩哨宿舎に走らせて小隊長に事態を報告させた。わたしたちはみんなで声をあわせて3人の名前を呼んだ。
「ナミカワー、ミヤノー、タンノー」
四方に向かって、あらん限りの声をふりしぼって叫んだ。かえってくるのは山のこだまだけであった。中隊長の吉田少尉はそれでもあきらめ切れず、トカレフ軍曹に手分けして付近をさがしたいと申しこんだ。しかしトカレフは首を横にふった。
「捜索はわれわれの仕事だ。君たちは指示があるまでそこに立っておれ」
(後編に続く)
初出:「文藝春秋」昭和45年8月号「君達は同胞の肉を食べるのか」
※掲載された著作について著作権の確認をすべく精力を傾けましたが、どうしても著作権継承者がわからないものがありました。お気づきの方は、編集部にお申し出ください。
※『奇聞・太平洋戦争』に掲載された記事中には、今日からすると差別的表現ないしは差別的表現と受け取られかねない箇所がありますが、それは記事当時の社会的、文化的慣習の差別性が反映された表現であり、その時代の表現としてある程度許容せざるを得ないものがあります。太平洋戦争前後の時代性・風潮を理解するのが同書の目的であり、また当時の国際関係、人権意識を学び、今に伝えることも必要だと考えました。さらに、多くの著作者・発言者が故人となっています。読者の皆様が注意深い態度でお読みくださるようお願いする次第です。