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「実はあの時、まともに走れる状態じゃなかったんです」

 そんな矢先、博一さんの身体はガンに侵されてしまう。手術で左の肺を摘出するも復帰を果たし、2006年7月16日には横浜vs広島戦の前に行われたイベントに参加する。それは広島OBの川口和久&達川光男バッテリーからスーパーカートリオの3人が盗塁を奪えるか?というもの。しかし博一さんは川口投手のまさかの牽制球にタッチアウト。「牽制はないよな~」とコメントし場内の笑いを誘った。

「実はあの時、まともに走れる状態じゃなかったんです。でもみんなの前で格好悪い姿は見せられない。そこで川口さんと事前に相談して、牽制アウトにしてくれと。それならお客さんは“ヒロカズらしいね”と笑ってくれるからって」

 その後ゴルフをやるまで体力は回復したが、翌2007年、ラウンド中下半身に激しい痛みを覚える。ガンは足に転移してしまっていた。

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「それからは入退院の繰り返しでした。昔は親父にビビっていた僕も20歳を超え、子供の頃に厳しくされた経験が社会で役に立つことを実感して、見方も接し方も変わってきていた。親父も調子のいい日は“気晴らしにパチンコでも行くか”と僕を誘ったり、急に優しくなり始めるんです。そうして親父と遊ぶのは楽しく、初めて男と男として対等になれた感覚でした。いつも2人でブラブラしているから、母には“たまにはバイトでもしなさい”なんて言われるんですけど、“まあいいじゃねえか”なんて庇ってくれたりして」

 この頃から、博一さんの闘病生活を知った球界関係者が次々とお見舞いにやってくるようになる。しかし次第に「ちょっと今日は起きられねえ、無理だ」と断る回数が増えていったという。

 2008年1月21日、父と子は病院の個室にいた。博一さんには緩和ケアでモルヒネが投与され、もう何日も言葉を発していない。家族は毎日交代で寝泊まりしながら付き添っていた。

「ちょうど昼時で、僕は寝転んでテレビを観ていたんです。そしたらいきなり背後からハリのある声で“眞!”と親父が呼ぶんですよ。びっくりして“え、どしたの?”と振り向いたら、目をバチっと見開いて“パチンコ行きてえなあ”って。その感じが元気な頃の親父のまんまだったんで、僕も“おお、じゃあ早く身体直さないとね”って普通に返して、またテレビに向き直った。それから10分くらいかな。“あれ、気配がしないな”と思ったらもう息絶えていて……」

 享年56。いつも周囲を楽しませ、同じくらい気を使っていた加藤博一さんの最期の言葉は、これ以上なく“らしい”ものだった。

改めて“親父、すげえな”って思った瞬間

「慌ただしく通夜を終えて、翌朝、コンビニに行って新聞棚を見たんです。そうしたらスポーツ新聞が何紙も加藤博一が一面で、そんな扱いとは思いもよらなかったから驚いちゃって。葬儀の時も次々と供花が届けられ、それも各界のビッグネームばかり。とても並べきれず、放送局の方も手伝ってくれて式までに何とかきれいに配置して。その時改めて“親父、すげえな”って思ったんですよ。こんなにも大勢から愛されていたのかって」

亡くなる2か月前、お見舞いに駆け付けた韓国代表キム・ギョンムン監督から手渡されたメッセージ入りボール。キム監督は昔大洋のキャンプに参加して以来博一さんを兄のように慕っており、博一さんも「キムが来るなら」と病身を押して歓迎したという。 ©加藤眞一

 その年4月12日の横浜vs阪神戦は、かつて両球団に在籍した博一さんの追悼試合として行われた。試合前のセレモニー、妻・晴代さんと息子2人は大観衆が見守るグラウンドに立つ。レフトスタンドからは阪神時代の応援歌が、ライトスタンドからはヒロカズコールに続きおなじみの『蒲田行進曲』が奏でられた。

“かっとばーせ加藤 かっとばーせ加藤 かっとーばーせ加藤

かっとばーせ加藤 かっとばーせ加藤 かっとーばーせ加藤~

かっとばせー ヒロカズ!!!”​

「あの時の大声援は本当に嬉しかった。皆さんが本気で叫んでくれているのが地鳴りのように響いて、鳥肌が立ちっぱなしでいつまでも止まらない。“親父はこんな中でプレーをしていたんだ……”と。ずっと忘れられない光景ですね」

加藤博一さんの追悼セレモニー。妻・晴代さんは遺影のパネルを、息子2人は阪神時代の32、大洋時代の44のユニフォームを手に横浜スタジアムに立った。両サイドは屋鋪要、高木豊。

 今、博一さんは三浦半島の高台で静かに眠っている。お墓の素材はステンドグラス。これほど博一さんに似合うお墓もないだろう。

「目立ちたがり屋だったので、こんなお墓が親父らしいのかなって。思えば流行り物はすぐ手に入れないと気が済まない性分で、たまごっちやエアマックス’95まで手を出してましたから。あと車も高級外車ばかり。日本に10台というアストンマーチンに乗り換えた時は、事故ってすぐ廃車になっちゃいました(笑)」

加藤博一さんの墓所。日が差すと全面エメラルドグリーンのクリスタルガラスが透き通り、仄かに周囲を明るくする。 ©加藤眞一

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