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韓国発・日本人シティポップ歌手が世界で注目 “黒幕”ゲーム会社社長が語った戦略

YUKIKAを世に送り出した、ESTi氏インタビュー

2020/09/23
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――YUKIKAさんの歌手としての経歴は、約2年のグループ活動のみでしたが、ソロシンガーにしようと思った理由は何でしょうか?

パク 最初YUKIKAに会った時、声優をしていたという経歴が印象に残りました。僕は中学生の頃、日本のアニメ声優のCDも聴いていたのですが、歌は特に上手くなくとも、曲が好きで聴いていたんです。

 そうした経験から、プロデュースがきちんとしていれば良い音楽を作れると思ったので、YUKIKAの歌手としての経験値や、年齢的なことも、気になりませんでした。

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パク・ジンベ社長

日本のゲームや雑誌に触れて育った子ども時代

――日本の文化にお詳しいですよね。パク社長が日本カルチャーと出会ったいきさつを教えてください。

パク 両親が営んでいる花屋の隣が、輸入物のビデオや雑誌、ゲームなどを扱う店だったんです。子供のころ、母が忙しい時は隣の店のおじさんの所へ行って、店で流れていたビデオをよく見ていました。それが日本の作品と知ったのは後になってのことです。

 また両親が日本のゲームや雑誌をたくさん買ってくれて、幼稚園児の頃は日本のゲームをよくやっていましたね。雑誌は日本語がちゃんと読めないので、写真だけ見ていました。

――特に思い出に残っている日本の作品は?

パク 小学生の頃、ゲームだとMSX、雑誌だと『アスキー』をよく読んでいました。ゲームの写真がたくさん載っているので。漫画は高橋留美子先生の作品が好きでしたね。

 1990年代になると多くの海賊版もあったので、『ドラゴンボール』や『スラムダンク』が韓国で大人気になったのですが、当時韓国でも有名だった『ガラスの仮面』など読んでいました。でも内容をちゃんと理解していたわけではなく、後で正式ライセンスされた翻訳版を読み、こんな内容だったのかと知りました。

リモート取材に答えるパク・ジンベ社長

洗練されたJ-POPのインパクトは大きかった

――ずいぶん濃く触れてきましたね!日本の音楽も聴いていましたか?

パク 89年前後、初めて見たJ-POPがWinkで、衣装や振付けがとても印象に残っています。当時韓国のテレビに出ていたのは、トロット(韓国演歌)をやっているような歌手たちが大半でしたので、洗練されたJ-POPのインパクトは大きかったです。僕が小学2~3年ごろですね。

そうした日本の歌謡曲のビデオや漫画を熱心に買っていたのは、主に僕より7~8歳ほど上の、72~73年生まれの人たちだと思います。(韓国でK-POPの祖といわれる)ソ・テジが72年生まれで、僕は彼らと似たタイムラインで日本文化に触れていたと思います。