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1999年、江藤智が広島から巨人へ――FAが生んだ奇跡の物語

文春野球コラム ペナントレース2020

2020/10/16
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「もたらしたもの」が大きく違った江藤のFA

 カープファンにとって、FAは「負の制度」だ。川口和久、江藤智、金本知憲、新井貴浩、黒田博樹、大竹寛、丸佳浩など、あらゆる選手がFAで他球団に移籍、ことごとく戦力をダウンさせられてきた。ここ1~2年で言えば丸。もう憎しみは残っていないけど、丸が抜けた穴の大きさは嫌というほど味わっているし、そのお陰で苦しんでいる。會澤は残ってくれたけど誠也はどうなるんだろう。カープファンにはFAの恐怖がつねにつきまとっているのだ。

 しかし、この江藤のFAに関しては一般的なFAよりも「もたらしたもの」が大きく違うのではないだろうか。本来のFAは、選手が他球団に行く、その選手が活躍する、あるいは活躍しない。つまり「選手個人」の話で終わるが、江藤は違う。江藤がFAをしたお陰で、巨人ファンはおろか、すべての野球ファンが「二度と見られない」と思っていた長嶋さんの背番号3が復活したのだ。

 私は1974年生まれ。長嶋さんはその私が生まれた年に引退しているので、当然ながら「生の背番号3」を見たことは無い。その長嶋さんがいた巨人は永遠のライバルであり、時に「憎き巨人軍」であり、巨人に勝つのと他球団に勝つのとでは嬉しさも違う。しかし、いくら巨人が憎かろうが嫌いであろうが、野球ファンにとって、少なくとも自分にとって「長嶋茂雄」という人は特別な存在である。それは王さんとて同じ。日本野球界を代表する2大レジェンド。日本野球の象徴。江藤はFAによって、自身の移籍だけではなく「長嶋茂雄の背番号を復活させる」というウルトラCまで実現させたのである。あとにも先にも、FAでこのようなサイドエピソードをもたらした選手はいないだろう。

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 長嶋さんの背番号復活に歓喜した、あるいは興奮した人は、おそらく全球団にいるはずだ。それは選手もファンも関係ない。ワイドショーなどでも大きく取り上げられたし、やはり、それだけ大きい出来事だった。たったひとりの選手、つまり江藤のFAが、図らずも球史に残る事態を呼び起こした。もし横浜の進藤がFA移籍していれば江藤は横浜に移籍していたし、もし長嶋監督の背番号が33でなければ話は変わっていた。様々な偶然が重なり、背番号3、奇跡の復活劇が実現したのである。その意味において、江藤のFAは通常のFAとまったく違う意味を持ったものだと思っている。

 ちなみに、冒頭で書いた丸。巨人に行っても変わらぬ勝負強さを見せてチームに貢献する丸。よくよく考えてみると、彼は「ひとり5連覇」ということになる。まずはカープで3連覇。その翌年に巨人にFAし、巨人が優勝。そして今年も巨人が優勝確実。つまり5連覇。長嶋さんの背番号を復活させた江藤ほどではないが、球団またぎで5年連続優勝を味わうというのも、非常に珍しい「FAのサイドエピソード」ではないだろうか。しかし、最後にこれだけは言わせてほしい。丸、頼むから6連覇だけは勘弁してくれ。

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