「無観客では奇跡は起きませんでした」
2020年7月5日。神宮球場は無観客。DeNAベイスターズの平良拳太郎投手に抑えられ、1-8で完敗した試合。彼は諦めずに奇跡を、ヤクルトの反撃を願い、マイクに向かっていた。
実況担当・向坂樹興。今年60歳。アナウンサー歴38年の大ベテランの目にはどうに映っていたのか。
実況アナウンサーとして大切にする「三本柱」
「違和感はもちろんありますが、6月19日によくぞこの状況下でプロ野球が開幕出来たなぁ、という思いがありました。スタンドにファンがいないという状況で、テレビを通してスワローズファン、あるいは相手チームのファンへ、目の前で起きている感動を余すことなくお伝えしたい。そういう気持ちでやっていました」
実況と同じ丁寧な語り口。でも、と続ける。
「音を臨場感としてお伝えしたいという思いはあったのですが、逆に歓声がない分、自分の反省としては、しゃべりすぎました」
フジテレビを2020年3月末で定年退職した向坂アナだが、回数は減ってもCSの「SWALLOWS BASEBALL L!VE」で実況を続ける。スポーツ中継現場への情熱を持ち続け、スワローズ愛に溢れる向坂アナ。細やかな情報を巧みに実況に織り交ぜる手法は、視聴者からも称賛の声が多い。
そんな向坂アナには、実況アナウンサーとして大切にする「三本柱」があるという。
1つめは、「準備の大切さ」。
今でこそ百戦錬磨のベテランも、スポーツ実況の世界に飛び込んだ当初は、苦難の連続だった。競馬実況を任されたが壁にぶつかり、心底苦戦したという。
「出走馬の一覧表を作って色を塗り、頭に叩き込んだ上で実況席に座るのですが、馬を追いかけながら馬名がなかなか出てこないんです。双眼鏡で後ろまで見るのが怖くてすぐ先頭に戻る。クォリティの低い実況でした」
入社して3年、競馬実況は失格の烙印を押される寸前だった。危機感を覚えたとき、急に「馬が見えるようになった」という。
「馬の戦績や脚質というのが頭に入っていますし、この馬場ならこんな展開になる、というところが急に見えてきたんですよね」
それからは、競馬実況が楽しくなった。局の歴史上最年少での天皇賞実況、パリの凱旋門賞生中継実況という輝かしい経歴を築き上げた。
「準備」と経験は、アナウンサーとしての土台となっている。向坂アナの実況と言えば、豊富な情報が持ち味。本人も「取材重視」と語る。今年は当然ながら、コロナ禍で思うように取材が出来ないぶん、独自のデータを出すようにしている。
「今シーズンだけではなく、積み重ねた対戦成績とか、バッターの月間の打率のわずかな動き。本当に細かい話ですが、そんな数字を拾い上げて準備しています。でもほとんど消化しきれないですね」
実況当日は朝4時からノートに向かって数字を書き、夕方6時からの試合に備えるが、「100用意したうちの10も消化できればいいかな」と笑う。
中継では数々の解説者と組むことになる。全てのフジテレビ解説者の著書を読んでいるのも「準備」の一つだ。彼らの野球を見る目を理解し、目の前のプレーを描写し、伝えるかを考える。多くの解説者と組むことも実況の面白さのひとつだと言う。
「たくさん準備をしてそれを中継の中で生かしていく。2、3年経つと、解説者の方々がおっしゃりたいだろうな、というところも見えてくる。新たな発見も毎回あって楽しいですね」
選手が誰一人分からなかった20年ぶりの現場
2つめは、「リスペクト」。
入社後5年間スポーツ実況を担当した後、6年目からは情報番組がメインになった向坂アナ。それでもスポーツに戻りたかった。10年目、スポーツの現場に戻ったものの、バラエティや報道番組の司会なども兼任となり、スポーツの比重は減っていった。
2012年「SWALLOWS BASEBALL L!VE」で実況に復帰した時には、実に20年ぶりの現場となっていた。当時51歳。
「まずは3時間半声がもつかな、と(笑)。そこから不安でした。同時に、ヤクルトの現場に行くと、小川淳司監督(当時)始めコーチ陣はそれこそ20年前に現役だった方々で、『お久しぶりです』という挨拶で始まったのですが、選手が誰一人分からないんですよ。選手の方も『この見慣れないおじさんは誰?』みたいな感じでした」
選手にまず顔と名前を憶えてもらって、信頼関係を作るところから始めなくてはならない。独自の取材が出来るようになるまでには、時間が必要だった。
翌2013年には初めて浦添キャンプにも取材に行き、そこで見た光景に心打たれた。
「朝から夜暗くなるまで泥まみれになりながら、練習するヤクルトの選手たちを見ていると、花開いて欲しいという気持ちになります。ですから、実況マイクに向かう時、選手に対してのリスペクトを一番大事にしていますね」