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「ストレートでどんどん勝負しようなと約束していた」

 JFKの大活躍で阪神がリーグ優勝を果たした2005年のドラフト会議で高校生4巡目で指名された。火の玉ストレートをテレビで観ていた高校生の一人だった。前田少年にとっても藤川は憧れのプロ野球選手だった。入団4年目の2009年に1軍デビューを果たすと、次第に藤川の背中をみながら守る機会も増えていった。

「真っ直ぐ(ストレート)とわかっていても空振りする打者をみてきて、どんな真っ直ぐなんって思っていた」

 これまではチームメイトとして紅白戦での対戦はあっても、公式戦で違うユニホームを着て相対するとは考えたこともなかった。「自分がFA権を取得して他球団に移籍するとも思っていなかったし、違うチームで球児さんと対戦するなんて奇跡」。そんな奇跡の打席へは「ホームランか三振と思って」向かった。藤川が「大和がFAでDeNAに行く時にストレートでどんどん勝負しようなと約束していた」と話したように、約束通りの投球だった。

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 初球147キロのストレート。2球目も147キロ。2ボールとなった3球目。またもや147キロのストレート。「振りに行こうと思った」大和だが、インコースの切れのあるボールに手が出なかったという。そして2ボール1ストライクからの4球目。この日下ろしたばかりのバットに初めてミートした打球は横浜の空を高々と舞った。

「当たった瞬間に行ったと……そらぁ特別なもんよ」。火の玉ストレート。打った大和も打たれた藤川も笑顔だった。背中越しにみていたわかっていても打てない真っ直ぐを、今度は藤川と真正面からぶつかって見事にとらえた。試合後、藤川のもとをホームランボールを持ってたずねると“最高の仲間”としたためてくれた。忘れられない1球は鹿児島の実家に大切に飾られている。

 奇跡、夢みたい。数か月経っても未だに信じられないような表情で振り返りながら、ふと漏らした。「自分もいつかこんな日が来るんだろうなぁ」

 若虎だった大和も今年34歳を迎え、チーム最年長となる。チームだけでなく遊撃手としてもセ・リーグで最年長である。先輩の節目に立ち会い、初めて自分の終わりを想像した。そもそも今の自分の置かれている状況が、とても不思議だという。

「なんで自分がこの年まで残ってるんやろうって思う。ドラフトも下位やし。ふと気づくと高卒同期の上位指名選手はもういなくなっていて。なんでやろうね」

 野球以外では人前に立ちたくないという大和らしい疑問。しかし、もうその答えには気づいているはずだ。「野球が好きだからといって残れる世界じゃない」。大和の“こんな日”はまだまだ訪れはしない。

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