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 今回、巽が亡くなったことを公にしないで欲しいと強く望んだのは家族だったという。三井住友銀行側が巽の実績などを踏まえて、マスコミ発表を一切しないことへの難色を示すと、最終的に折り合ったのが葬儀が終わってからの発表というものだった。

バブル期、闇の勢力に飲み込まれた銀行

 家族が頑にマスコミ発表を拒んだ理由の一つが、イトマン事件に連なる闇の勢力への恐怖だったという。

 巽の名を金融界、産業界に知らしめたのは常務時代から手がけ、自らも「ライフワークだ」とも話していた東洋工業(現、マツダ)の再建だった。米フォード・モーターとの資本提携の橋渡しに始まり、経営の建て直し、そして自ら社外取締役に就任するなどその係わりは20年以上にも及んだ。

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 後には総合商社「安宅産業」や住友銀行が合併した「平和相互銀行」の残務処理なども手がけて来た。

 けれども、何と言っても巽を語る上で欠かせないのが、イトマン事件だった。住友銀行を崖っぷちまで追い込んだイトマン事件の最中に頭取となった巽は最前線で指揮を執り続けた。

“ラストバンカー”と呼ばれ、昨年9月に亡くなった西川善文(元三井住友銀行頭取、会長) ©文藝春秋

 許永中、伊藤寿永光といった希代の詐欺師らに食い物にされた住友銀行からは数千億円もの資金が闇の勢力に流れた。その実態に巽は衝撃をうける。それ以上に巽を暗澹たる思いにさせたのは、かつては、後にイトマン事件の主人公となる河村良彦らとともに「磯田(一郎。元住友銀行頭取)さんを頭取にするのが夢だ」とも語り、仰ぎ見ていた磯田の老醜だった。権力欲に塗れ、取り巻きの追従に溺れた哀れな姿だった。

 巽はかつての同僚で、イトマン社長となっていた河村を呼び出し、同社に入社させていた不動産担当の伊藤寿永光を切ることを求める。ところが、河村はそれを拒否したばかりか、逆に伊藤を役員に昇格させてしまう。イトマン、住友銀行は釣瓶落としのように闇の勢力に飲み込まれようとしていた。

 イトマン、住友銀行を食い物にする許や伊藤らにとって巽は排除すべき存在だった。それからだった。巽に尾行がついたのは。

特攻隊員の生き残りだった巽

 巽は特攻隊員の生き残りだった。沖縄に向けて特攻に向かう直前、天候不良で特攻は中止となる。巽は九死に一生を得る。人の死を間近に見続けてきた巽はある意味、諦観の人であったが、一方、胆力、腹の据わりようは尋常ならざるものがあった。

「許永中らは人の弱点を見抜く天才的な詐欺師だった。磯田さんはそこにつけ込まれ、骨の髄までしゃぶられた」

 寡黙であっただけに、こう語る巽の述懐は口を挟めぬ迫力があった。巽とは東洋工業(マツダ)救済以来の付き合いのあった元新聞記者によれば、巽への許らの尾行は3カ月にも及んだという。許らは巽の弱点を探し出して黙らせるつもりだったのだろう。