1ページ目から読む
4/5ページ目

「そんなものは副頭取までなんだよ、國重君」

 けれども、それは表向きの理由に過ぎなかった。筆者が巽逝去の2日前に上梓した『堕ちたバンカー 國重惇史の告白』(小学館)には“できる”が故に銀行員としては危険と見なされた國重を次のように描いた。

 場面は、イトマン事件が終息して数カ月が経過した1991年頃、東京・紀尾井町の料亭の席。國重を接待していたのは頭取の巽だった。

〈当時、住友銀行はイトマンの不良債権の処理をするための受け皿会社をいくつか作っていた。國重は、その1つに出向することを強く希望していた。その会社は名古屋に設置され、主に伊藤寿永光、許永中に食い物にされ、数千億円が闇に消えたと言われる絵画取引の中心になっていた会社だった。國重は、この会社に出向いて、伊藤や許と対峙してみたかった。それを想像するだけで國重の気分は昂揚した。

ADVERTISEMENT

 しかし、銀行はそうした“危険な行員”を望んでいるわけではなかった。國重は感謝する頭取、巽にこう言っている。

「自分の強みは官庁への太いパイプと闇の勢力の情報です。その強みを受け皿会社で生かしていきたいです」

 堂々と言う國重に、巽はちょっと困った表情を見せながらこう返事をした。

熱狂するバブル期の株式市場 ©時事通信社

「そうは言うけども、頭取になる人間にはそんな情報なんか必要ないんだよ。そんなものは副頭取までなんだよ、國重君」

 巽にとり、“闇の勢力の情報”などは、所詮、“そんなもの”だったと國重は即座に理解した。そして、口にはしなかったが、巽が言う“そんなもの”のお陰でイトマンは、いや住友銀行は助かったんじゃないか、と。

 結局、國重の希望は叶えられることはなかった。國重に下された辞令は本店営業第一部長というものだった。赴任地は大阪。イトマン事件から住友銀行を救った男に報いるとは到底、思えぬ人事だった〉

“闇の勢力”との付き合いが必要な時代は、すでに終わりを告げていた。そんな状況を直接ぶつけ合った巽と國重の会話は、金融界におけるバブル終結を象徴するかのような場面だった。