※こちらは「文春野球学校」の受講生が書いた原稿のなかから、文春野球ウィンターリーグ出場権を獲得したコラムです。
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マンション1階の集会室で机を端に寄せ、一心不乱に踊る。ドアの隙間からは汗だくの姿が見え、サカナクションの曲が音漏れしている。すぐ隣はゴミ置き場で共用廊下を通る住民は多い。でも気にしてはいられない。練習だ。チアドラゴンズのメンバーオーディションに応募する、と決めたのだから。
41歳の専業主婦がメンバーに入りたいだなんて、無謀かもしれない。住まいは東京の上、子どもは7歳と4歳だ。小学生の息子は既に立派なドラゴンズファン。幼稚園生の娘は、京田と根尾の背番号を覚えている。退団してしまったが、アルモンテが一番のお気に入りだ。ファンになったのは30代で出会った夫の影響とはいえ、もしメンバーになったら2人を任せて名古屋に通うのか単身赴任なのか……理解を得られるだろうか。
2020年12月。48歳の新庄剛志が12球団合同トライアウトを受けたことが話題になっていた。私が野球を見始めた時には既に引退していた新庄。ドラマティックな逸話や胸のすくような名言は知っていても、殆どが後追いだ。どこか遠い人のような気がしていたのに、リアルタイムでのニュースは新鮮に映る。阪神、メジャーリーグを経て日本ハムで2006年に引退した新庄は15年ぶりのNPBを目指すのだと言う。
「ママはチアドラゴンズに入れるかな?」
「おばさんなのに? わたしなら入れるかも」
無邪気な娘の言葉に、そうかもね、と笑うしかなかった。
ジャイアンツのチア最終審査の記憶
ドラゴンズを追いかけ8年目。ファンとして遂にAクラスを知って2020年は報われた。よりによって球団史上最長のBクラス始まりと同時にファンになっていた。それまでずっと野球に興味のない人生を送っていた。でもドラゴンズを、野球を見始めてから、ふと思い出すことがある。
20年前。記憶の片隅にあるジャイアンツのチア最終審査。ジャビッツという名前の頃の話だ。
「好きな選手は誰ですか?」
長机に座った審査員が尋ねる。実技が終わると質疑応答だ。朝、新聞のスポーツ欄で確認した名前を慎重に思い出しながら「高橋由伸選手です」と答えた。それ以上言えることがない。話は盛り上がることなく終わった。勿論不合格。
野球にまだ興味もなかった頃の話だ。何でも良いから踊る仕事に就きたくて、オーディション情報誌を見て片端から書類を送っていただけだった。周りが受験勉強に精を出し次々と進路を決める中、一人ダンスの学校を選んだ。何かを形にしなくてはと焦っていたあの頃。自分を貫いたようで実際はただの落ちこぼれだった。「ほら、これで正解だったでしょ」と証明したかった。最終的に成し遂げたのはアマゾンで酷評されるDVDを出したまでで、曲がり角を何度も間違えたダンス歴は黒くなって終わった。
あの頃苦くて不味かったビールは、球場で飲むとこんなにも美味しいなんて思ってもみなかった。就職してからは、野球の結果に気分を左右されちゃって、と上司を横目で見ていたし、「もう少しでジャビッツだったのに」と飲み会のネタにすらしていた。それが今ではどうだ。18時までに夕食の準備をすませ試合を心待ちにしている。家族の小競り合いは絶えなくてもヒット一本で「よっしゃ!」と団結出来る。選手たちが戦う姿に励まされている毎日。
自分も頑張らなくちゃ。何を?(もし、今なら……?)笑ってしまうような思いつきだ。メンバー募集の応募資格の最後の一文には「チアドラゴンズとしてドラゴンズを応援したいという気持ちの強い方」とある。あの時足りなかった気持ちが今はある。でも、チアドラゴンズに入るなんて壮大な夢を追うのは今じゃない。心の奥では、目の前の日々を堅実に過ごすべきだとわかっている。それでも、何かやり残しているような気がして素通り出来なかった。