本人が「敦也」で弟は「臣吾」。その情報を耳にした時点で察するものがあった。
「家でプロ野球中継が流れているときは、ヤクルト戦しか見た記憶がないんです。父がヤクルトファンで、僕が小学生の頃はラミレスがよく打っていて強かったし、自然とヤクルトが好きになっていました」
令和に見ても感動する伊藤智仁の高速スライダー
2021年のドラフト戦線で、社会人野球の目玉格に挙がっているのが三菱自動車倉敷オーシャンズの廣畑敦也である。
身長175センチ、体重79キロと上背はないものの、最速154キロの快速球とキレのあるカーブ、スライダーを武器にする速球派右腕だ。
その廣畑は熱心なヤクルトファンである。名前の由来は古田敦也から。弟の由来はもちろん高津臣吾で、新旧ヤクルト監督の名物OB。父のヤクルト愛の強さを感じずにはいられない。
廣畑は文春野球コラムのヤクルト監督を務めたこともあるノンフィクション作家・長谷川晶一さんの著書を愛読し、1992~1993年のヤクルトと西武の日本シリーズを描いた新刊『詰むや、詰まざるや』(インプレス)も「発売日に先駆けて購入しました」と笑う。
高校時代には、動画サイトで見つけた伊藤智仁の高速スライダーに釘付けになった。伊藤智仁愛を尋ねると、廣畑の口が止まらなくなった。
「あの高速スライダーを投げられる人は、今後出てこないんじゃないですか。ストレートの軌道から、横に滑るように曲がる。普通のスライダーは落ちてから曲がるんですけど、伊藤智仁さんのスライダーは伸びながら曲がっていく。いま動画を見ても感動しますからね」
廣畑は140キロ台前半の小さく曲がるスライダーを投げるが、周りから「いいカットボールだね」と言われても、かたくなに「スライダー」と言い張っている。
「僕のなかではスライダーなので。理想は伊藤智仁さんの高速スライダーですけど、あれは投げられません。せめてスピードだけでも速球に近づけています」
もちろん、「好きな球団」と「入りたい球団」はイコールではない。球界のスターに君臨する柳田悠岐(ソフトバンク)にしても、プロ入り前は地元球団を応援するカープファンだった。今どき意中の球団を逆指名するアマチュア選手などおらず、廣畑は「入れるなら12球団OK」の姿勢を明確に打ち出している。
それでも岡山県出身で本来なら縁遠いはずの廣畑がヤクルトに惹かれるのは、彼自身が歩んできた人生と無関係とは思えない。巨人のような大資本の人気チームの後塵を拝してきたヤクルトと、廣畑という投手の歴史が重なって見えてくるからだ。
父の仕事の都合で転居先の香川県で野球を始めた廣畑は、小学6年生までは古田と同じように捕手を務めていた。だが、「何回泣かされたかわからない」と語るほど苦い思い出になっている。
「ピッチャーのボールが速すぎるし、どこにくるかもわからない。右バッターの背中の後ろを通るようなボールがくるので、本当に捕れないんですよ。もう何回ケガをしたことか……」
バッテリーを組んだ剛腕投手は1学年上の塹江敦哉。後に高卒でプロ入りし、現在は広島のリリーフとして活躍する逸材左腕である。
廣畑が捕り損ねるたびに、背後から球審が「捕れよ」と軽く足蹴にしてプレッシャーをかけてきた。父が審判を務めていたのだ。
岡山の中学に入学してから投手になり、高校は父もプレーした玉野光南へ。最速138キロの本格派だったが、全国的に注目されたのは1学年下の高田萌生(現楽天)。高校最後の夏は岡山ベスト4で敗れ、甲子園には届かなかった。
進学した帝京大では4年間で首都大学リーグ通算5勝9敗。球速は最速151キロまで上がったものの、変化球の精度が低く計算の立つ投手ではなかった。
そうして、廣畑は投手として突き抜けたものを見せられないまま、大学卒業後は三菱自動車倉敷オーシャンズに進む。