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整いました。“巨人ファン”の私ねづっちと“アンチ巨人”の父親の物語

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/04/30
note

「今の巨人の選手全員合わせたって長嶋さんにはかなわない」

 私は小学3年生の時に少年野球チームに入り、5年生でレギュラーになった。左投げ左打ちなので貴重だということで球も速くないのに投手をやった。打順は2番。広島カープの大野豊さんが好きで、あのフォームが格好良くて真似をした。当時の私は大野さんを意識した沈み込むフォームから時速100キロにも満たないストレートを投げた。……良く打たれた。

 打撃は篠塚さんが大好きで、いつも真似をした。レフト前へ流し打ちをするのが好きだった。ある日珍しく親父が少年野球の試合を観にきた。試合を終え帰宅すると、親父が言った。

「お前篠塚が好きだけど、原タイプだな」

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 原さんのことももちろん好きだ。「お前はスラッガーになれる」と言いたいのかなと思い、ちょっと嬉しくなって「本当? お父さん」と聞くと、親父はふざけた感じでこう言った。

「お前は原にセンスが似てる。今日もチャンスでポップフライだったもんな。ワッハッハ!」

 頭にきた。その言い方がまたムカついた。親父の方が腹立つノリ(原辰徳)だった。

 一応、親父の名誉のために言っておくが巨人に関しては悪態をついたりするものの、普段は普通の親父だった。バッティングセンターにもよく連れて行ってくれて、アドバイスもくれた。親父自身も野球は大好きで草野球をやっていた。

 よく親父の試合も観に行った。投手をやっていた。昭和22年生まれの親父はその世代の中では背が高く178センチあった。長身から投げ下ろす……ではなくサイドスローの打たせて取る技巧派だった。打撃はパワフルでよく長打を放っていた。試合が終わると親父が運転する車の助手席に乗り「お父さんいいバッティングだったろ?」なんて会話をして帰宅した。移動は車だったが打球は飛ばす(都バス)。

 アンチ巨人の親父だったが、「長嶋さんは凄かった」とちょくちょく口にしていた。「原選手よりも?」と聞くと「もちろん! 人気も凄くて、今の巨人の選手全員合わせたって長嶋さんには到底かなわない」。当時の巨人の選手もスターばかり。私は「本当かな?」と思っていた。

長嶋茂雄 ©文藝春秋

 時は流れ、私は高校3年生になっていた。柔道部に所属していたが変わらず巨人が好きで応援していた。その頃こんなニュースが流れた。

「長嶋茂雄、巨人の監督就任」

 私にとっては伝説的な人が巨人のユニフォームを着て監督になる。ワクワクした。そして親父がこう呟いた。

「長嶋さんが監督に戻ってくるなら、また巨人を応援しないとな」

 衝撃だった。そしてそこで気づいた。親父は元々巨人ファンで大の長嶋さんファンだったのだ。きっと1980年の長嶋監督解任に頭にきて、それからアンチ巨人になったのだ。いや、アンチのふりをしていたのだと思う。本人に確認はしていないが、だって本当に巨人を嫌いになっていたらずっと読売新聞、ましてやスポーツ報知を購読しているはずはないから。

 思えば親父は巨人に悪態をつきながらも、毎日スポーツ報知を読んでいた。表面では巨人を嫌っていたが常に巨人が気になっていたのだろう。この時以来、我が家は全員巨人ファンになった。……どうやらスポーツ報知を読んでいた親父は巨人を放置(報知)できなかったようだ。

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