文春オンライン

過去記事からわかった東京五輪「本当の理念」 招致の原点にあったのは“あの一家”の気まぐれだった!

2021/05/11
note

都知事選出馬さえも渋る石原に、森は……

 当時の森は日本体育協会の会長だったが、さらに頭の痛いことが起こる。石原が五輪招致断念だけでなく2011年の東京都知事選にも出馬しないと言いだしたのだ。

「そうなると、オリンピックどころではなく、自民党の政治問題になるわけだ。」(森喜朗)

 必死で説得する森。

ADVERTISEMENT

 石原は再三の説得に「わかった。やりゃ、いいんだろう」と受け入れた。ある条件と共に。

「その代わり、伸晃のことを頼む」

 石原家の悲願である首相の座。息子の石原伸晃への協力を、オヤジは森に託したのだ。

石原伸晃氏 ©文藝春秋

東京五輪はの主役は石原一家だった

 このあと森喜朗はどういう行動に出たか。2012年の自民党総裁選、森がいた派閥(清和会)からは町村信孝と安倍晋三が出馬したが「オレはどちらも応援しない」と言って森は石原伸晃を支持した。オヤジが都知事選に出馬してくれたお返しのために。

 森喜朗は自慢げに語る。

「すべて東京オリンピック招致のためだったんだ。」

 ああ…東京五輪は復興五輪でも何でもなく石原一家が主役だったのだ。

 慎太郎の個人的なリベンジ(対アメリカ)から始まり、一度はあきらめたが、息子を自民党総裁にするために都知事選にしぶしぶ出馬して招致活動を再開した。復興五輪という理念は役人の後付け。

 そこまでしてもらった息子・伸晃はどうなったか。翌年におこなわれた自民党総裁選の本命とも言われたが失言などが影響して惨敗。安倍晋三が当選し、年末に第二次安倍政権が誕生した。

 私は常々「この10年間の政界は石原伸晃を中心にまわっている説」を唱えている。安倍晋三の復活だけでなく小池百合子や山本太郎の“ブレイク”にも伸晃が大きな役割を果たしている。

 そして遂に石原伸晃は五輪まで招致してしまったのである(※ただし、すべて本人の意図していないところで)。