内海哲也さんにとって、望まぬ移籍であったことは間違いありません。

 2018年オフ、埼玉西武ライオンズの炭谷銀仁朗さんが国内FA権を行使して読売ジャイアンツに移籍しました。それ自体は選手の権利であり、森友哉さんの台頭により出場機会を減らしつつあった炭谷さんにしてみれば、スタメンで出られる球団を求めて移籍するのは仕方のないことでした。

 しかし、あのとき西武は禁断の選択をしました。巨人から提出されたプロテクトリストを見て、内海哲也さんを人的補償で獲れることに気づいてしまったのです。ドラフト時には巨人以外からの指名なら入団しないという強い意志を示し、巨人のエースとして一時代を築いたレジェンド。無難に若手成長株を獲る選択もありながら、西武は「禁断の内海」に手を出しました。

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 巨人ファンの阿鼻叫喚を尻目に、西武ファンは沸き立ちました。「知ってる選手が西武に移籍してきたぞ!」と。主力の流出がつづいていた西武ファンにとって、久々の「獲得」案件でした。その年、内海さんが5勝5敗と復活の予兆を見せていたことと、阪神から獲得した榎田大樹さんが11勝をあげる活躍を見せていたこと、そして山賊打線が打ちまくっていたこともあって、「内海なら15勝は固い」「内海の胴上げはウチがやりますよ、東京ドームで」「日本シリーズで凱旋登板や!」などの発言が界隈で飛び交いました。盛り上がりました。お祭り騒ぎでした。

 ただ、本当にそれでよかったのか、あれからの3年間、猛省と弁解とを繰り返してきました。

 素晴らしい選手というだけならともかく、相手球団の「一時代」を背負うような選手を、獲れるからといって獲っていいものか、それは客商売として真剣に検討すべきことでした。ルールなのだから問題ないという話ではなく、ルールが目指す理想像である「お客様の喜び」に本当につながっていたのかという観点で。プロテクトから漏れたからといって、巨人と別れる予定ではなかった内海さんを、巨人と別れさせてしまったのは西武の決断です。まだつながっている糸を断ち切ったことの後ろめたさと、「漏れてたんだから獲るだろ……」という開き直り。揺れ動く3年間でした。

2018年オフ、埼玉西武ライオンズに移籍した内海哲也(中)

両軍ファンの心が守られた「優しい奇跡」のような試合

 迎えた2021年6月3日。内海さんは1010日ぶりに東京ドームのマウンドに立っていました。移籍から3年目、これが西武での5試合目の登板でした。帽子を脱いでバックスクリーンに向かうマウンドでのしぐさ。巨人の若き主砲・岡本和真さんと交わす挨拶。巨人ファンが掲げる背番号26のユニフォームとタオル。移籍後の古巣対決にありがちな「遺恨」というものはひとかけらもありません。誰もが懐かしむように、切ながるように内海さんの帰還を迎えていました。

 試合はまるで内海さんのための奇跡のような展開でした。

 巨人側には、負けるわけにはいかないけれど、内海さんには頑張ってほしいという複雑な胸中もあったでしょうか。初回、巨人・岡本さんの二塁打で先制点かと思われた場面では、一塁走者・吉川尚輝さんが途中で転倒して生還ならずという出来事もありました。まるで東京ドームの神様が制止をかけているようにも思われました。「戦う相手じゃない」と。

 しかし、それを無情に断ち切っていくのは、西武に古巣感を微塵も見せないかつての所属選手たちだったというのは因果なものです。初回、中島宏之さんの日米通算1866安打目となる先制タイムリー。そして2回には、内海さんの巨人時代の登場曲「PRIDEのテーマ」をサプライズで鳴らし、サプライズでツーランホームランを打つという炭谷銀仁朗さんの「恩返し」。

「よりにもよって銀仁朗」と率直に思います。滅多に打たないホームランを、この望まぬ移籍に巻き込まれた内海さんから、わざわざ内海さんの曲を鳴らして、東京ドームのファンの前で打つかねと。キャリア通算でわずか39本、巨人移籍後は8本、2021年に限っては1本しか打っていないホームランが、こんな形で生まれるかねと。リスペクトから来た計らいではあるのでしょうが、「居場所も、曲も、俺がもらった」という見立てをせずにはいられませんでした。せめて同じことをしたのが岡本和真さんであれば、違った印象にもなるのでしょうが。

 2回3失点、打席がまわってきたところで内海さんは降板します。「負け投手の権利」を持った状態です。5回裏には中島宏之さんの日米通算205号となるソロホームランで西武は4点のビハインドとなります。西武も森友哉さんと川越誠司さんのホームランで2点を返しますが、追い上げたい8回表の攻撃では「センター前に抜けそうな打球を投手が背面キャッチしようとして手を出したら、グラブに当たったボールが捕手・炭谷の前に転がって内野ゴロになる」というミラクルプレーで流れを断ち切られました。

 内海さんに、こんな残酷な負けがつくのか。霧のかかったような気持ちで見守る試合、救われたのは9回表になってからようやくのことでした。西武は二死満塁のチャンスを築くと、「この選手をプロテクト漏れなどで他球団に獲られようものなら永遠に球団を責めるだろう」と確信できる西武ファンにとっての宝物・栗山巧さんのタイムリーで2点を挙げ、同点に追いつきます。同点に追いついたというよりは「内海さんの負けを消した」と言いたい。

 帽子を被ったままベンチで戦況を見つめる内海さんが立ち上がるさまと、仕事を終えた栗山さんのこともなげな表情。この残酷な試合を、「優しい奇跡」のような引き分けへと導いたのは西武ファンの心を守りつづけてきた男の一打でした。内海さんが巨人を倒すことも巨人が内海さんに負けをつけることもなく、ただ懐かしむように、切ながるように、一緒に野球をすることができてよかった、それが最善だった、そう思います。