解説者が語っている。
「オリックスは元々戦力が充実していましたから、本来の力を出せばこれくらいの成績が出せるのは当たり前ですよ」
人間は勝手な生き物である。他人が落ち目の時には彼らは言う。お前がダメな理由は数えれば限りがない。努力はしていないし、集中もしていない。やることなす事、全て間違っているから、結果が出る方がどうかしている。例えば、他の奴を見ろ。あいつらはもっと努力しているし、勉強もしている。あいつらを見習って、反省しないと、お前なんかずっとこのままやぞ、と。
そして言われた方は考える。確かに自分がダメなのは、この人たちの言うとおりかも知れない。でも、自分だって少なくとも自分なりには、一生懸命やっているつもりだし、自分が泥沼の中にいる事は、自分自身が一番よくわかっている。他人に言われなくても、ここから脱出したいし、何とかしたい。でも、じゃあ具体的にどうしろと言うんだろう。真面目な人であればあるほど、そうやって頭を抱え、深く悩みこむ事になる。
時に人は、成功している自分が急に怖くなる
解説者は続ける。
「今日の試合はリードされてますが、リリーフ陣も充実していますし、代打陣にも強力な打者が揃っています。相手チームにとっては、これほど怖いベンチはありません」
でも、何かが上手く行き始めた時、周囲は急にちやほやしはじめる。俺はお前の事は昔から凄いと思って来たし、だからお前はいつか必ず成功すると思って来た。お前はずっと努力してきたし、いろいろと勉強して、工夫もした。俺はそんなお前を尊敬しているし、うちの連中にもお前を見習って欲しいと思ってる。どうだ、今度、うちに来て若い連中に話でもしてやってくれないか。
残念なことに、人はそんな時、意外と「ふざけんなよ」とは思ったりはしない。この人は、自分をこれまでぼろくそに言って来た。そんな人までが自分を褒めてくれるようになったのだから、自分は本当に「凄く」なったのかも知れない。だから、真面目な人であればあるほど、称賛の言葉を素直に受け止め、ありがたく思う。でも、ここで考える。あれ、自分はどこで「ダメな奴」から「凄い奴」に変わったんだろう。きっとそれには理由がある筈だから、その理由を探さなきゃ。そしてそれを忘れないようにしないと、自分はまた、元の「ダメな奴」に戻ってしまうじゃないか。
そう、難しいのはここからだ。何だかわからないけど、急に自分の人生が上手く回り始めた。でも所詮、自分は自分だから、別人になった訳じゃないし、やっている事も基本的には今までとそれほど変わらない。でも、突然結果が出始め、周囲の人々の評価も変わり始めた。正直、嬉しいけど、とても嬉しいけど、どうしてなのかがわからない。
そうして時に人は、成功している自分が急に怖くなる。自分が自分である以上、こんな都合の良い状態がずっと続く筈がない。一体、いつまた前の様な状態に戻るんだ。嫌だ、あの辛かった日々には絶対に戻りたくない。
苦難は人のプライドを傷つけ、自尊心を失わせる。そして、その傷は苦難を長く経験した人ほど大きく深いものになる。長く辛かった過去が恰も自分を招き寄せるかのように、大きな地獄への扉を開いているかのように思えてくる。怖い、とてつもなく怖い。あの人生のBクラスにもう一度戻るのだけは懲り懲りだ。考えれば考えるほど不安はますます大きくなる。成功している筈なのに、とてもおかしな状態だ。