「ドラゴンズ大好き、ファンの方も大好き」
持ち味は無駄のないフォームから放たれる150キロを超えるストレートと落差の大きなフォーク。特にスピンが効いたストレートは藤川球児の「火の玉ストレート」を彷彿とさせ、木下雄介のトレードマークとなった。
2020年の春季キャンプで左足を負傷して手術したものの、9月5日にはプロ初セーブを記録して、ブルペン陣入りの期待が高まっていく。2021年の春季キャンプは無事に完走し、ライデル・マルティネス不在時の守護神候補に推す声も少なくなかった。
しかし、また木下雄介を試練が襲う。3月21日、最後のオープン戦で右肩を脱臼。激痛で動けなくなった姿はファンに衝撃を与えた。患部の修復手術とトミー・ジョン手術を受け、復帰には1年以上かかる見通しだったが、それでも前を向いてリハビリを続けた。取材にはこのように答えている。
「これまで速球派で肩を脱臼して、完全復活できた投手はいないと聞きました。だったら、自分が第1号になります。乗り越えられない試練はないと思うので、この試練も乗り越えます!」
支えたのはチームメイトだ。故障した当日は笠原祥太郎が荷物を運ぶために駆けつけ、京田陽太は涙を隠さなかった。同学年の高橋周平は自分が通う治療院を教えた。又吉克樹が、木下拓哉が、福敬登が、大野雄大が、さまざまな形でエールを送った。CBC若狭敬一アナは木下雄介のことを「みんなに愛されている人」「辛くても前を向く人」と評している。
ドラゴンズファンも、試練と逆境に真っ向から立ち向かい、打ち勝とうとする木下雄介の姿を見て、心の底から彼を応援した。その思いを受け取っていたのだろう。今年4月、東海ラジオ「ドラゴンズステーション」ではインタビューでこう語っている。
「ドラゴンズ大好き、ファンの方も大好き」
木下雄介とドラゴンズとドラゴンズファンは通じ合っていた。相思相愛だった。それなのに神様は一方的に彼を奪ってしまった。繰り返し言う。本当に残酷だ。
手元に、支配下登録されたばかりの木下雄介のロングインタビューが掲載されている『月刊ドラゴンズ』2018年5月号がある。でっかい笑顔の写真が印象的だ。家族のスリーショットは胸が詰まる。インタビューで彼は自分自身についてこう語っていた。
「自分は弱いとしか思わない。周りは自分の経歴をみて、すごいな、一度野球をやめてプロに入ってくるなんて、かなり努力したんちゃうと言われるんですけど、正直、自分ではただ逃げてきた人生かなと思うんです。でも、いまはひとりじゃないので、どれだけしんどくてもそういう気持ちにはならないと思うし、頑張らないと」
弱くなんかないよ。ちっとも弱くなんかない。君は逃げもしなかったし、何度もどん底から這い上がってきた。私たちが君を知らなかった頃は弱かったのかもしれないけど、そんな過去の自分と訣別し、家族と、チームメイトと、ファンと一緒に戦ってきた。
「鏡に映る姿に中指を立て 何か気に食わねぇと理由をつけて 逃げてしまうのはガキのままだからか?」「昨日ふと夢を見たよ いつか生まれてくる子供の笑顔と泣き顔に約束『強くなるから!』」――湘南乃風「黄金魂」の歌詞は、木下雄介の人生そのままのような気がする。よくぞ選んだものだと思う。「生きて 生きて 生きて 必死で!」という歌詞は、私たちの気持ちそのままだ。
まだまだ野球をやりたかっただろうな。まだまだ生きたかっただろうな。まだまだお子さんが大きくなるのを見ていたかっただろうな。
人の運命って何なんだろうと思わずにいられない。確実なことなんて一つもない。これを書いている私も、これを読んでいるあなたも、明日どうなってしまうかわからない。でも、これだけは確実に言える。
私たちは、私たちが愛した木下雄介投手のことは、いつまでも忘れない。
〈参考〉
・『月刊ドラゴンズ』2018年5月号
・『月刊ドラゴンズ』2021年6月号
・週刊ベースボールONLINE 2018年5月23日
・BASEBALLKING 2021年4月9日
・J SPORTSコラム&ニュース 2021年3月29日 ほか
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