2022年版・燕劇場開幕──。髙津臣吾監督の下、球団29年ぶりのセ・リーグ連覇、そして初の2年連続日本一を狙うわれらがスワローズは、敵地・京セラドーム大阪で阪神に3連勝。昨年は本拠地の神宮で開幕3タテを喫した相手に、キッチリとお返しをしてみせた。
しかも、その勝ち方が良い。第1戦は4回終了時点で7点をリードされながら、怒涛の反撃で10対8の大逆転勝利。一時は阪神に7ゲーム差をつけられながら、これをひっくり返して6年ぶりのリーグ王者に上りつめた昨年のペナントレースの“縮図”のような展開で、髙津政権3年目にして初めて開幕戦を白星で飾った。
第2戦は先発の高橋奎二が圧巻のピッチングで7回を零封、第3戦も先発の高梨裕稔が粘り強い投球で6回を無失点に抑えると、救援陣も阪神打線に得点を許さずいずれも完封勝利。投手陣の奮闘でオリックスとの激戦を制した昨年の日本シリーズさながらの「投手力」でモノにした。
今年のオープン戦、ヤクルトは4勝11敗2分けと大きく負け越し、巨人と同率の最下位に終わっていた。それでもファンがあわてず騒がずおっとりと構えていられたのは、なんといっても昨年は20年ぶりの日本一に輝いたからだ。しかも、オープン戦は昨年も最下位。前述のとおりシーズンも3連敗からのスタートだったから、なんなら仮に今年も開幕3連敗を喫したとしても、それはそれでポジティブに捉えられるだけの余裕さえあったかもしれない。
はたして「開幕3連勝」は吉兆か?
それがフタを開けてみると開幕3連勝。これ以上は望むべくもない、最高のスタートとなった。もっとも「開幕3連勝」は吉兆かといわれると、そうは言い難いところがある。スワローズの開幕3連勝は、球団記録となる1999年の開幕4連勝を含め、これで7回目。過去6回のうち、同一カードの開幕3連勝は4回あるが、直近の2008年を含め3回までがBクラスに終わっている。
ただし、残る1回は開幕3連戦3連勝からリーグ制覇、そして日本一へと突き進んでいる。それが広岡達朗監督の下で、悲願の初優勝を成し遂げた1978年だ。オールドファンには懐かしく、若いファンにとっては“初耳学”かもしれないその開幕3連戦を、プレイバックしてみよう。
開幕3連勝からリーグ優勝、日本一。「1978年のヤクルトスワローズ」
現在は金曜日に開幕を迎えるのが基本のプロ野球だが、当時は土曜日に幕を開けるのが通例だった。この年も開幕は4月1日の土曜日。セ・リーグでは巨人対阪神(後楽園)、中日対大洋(ナゴヤ)、そしてヤクルト対広島(神宮)というカードが組まれていた。
ヤクルトの開幕マウンドに上がったのは、これがプロ7年目で初の大役となる左腕・安田猛。「小さな体と短い指。スピードもプロとしては二流。フォームは右打者に最も不利といわれる横手投げ。外から見る限り、好投手の条件を何一つ持たない男が、押しも押されもせぬ一流投手」とは、当時の森昌彦(のち西武監督就任時に登録名を「森祇晶」に変更)コーチの安田評である。身長173センチという小柄な体格で、ストレートの球速も決して速くはなかったが、多彩な変化球と精密なコントロールで、前年まで4年連続2ケタ勝利をマークしていた。
その安田が高橋慶彦から始まる初回のカープの攻撃を三者凡退に抑えると、ヤクルトはその裏、1死三塁から3番・若松勉の犠牲フライで1点を先制する。5回にはエイドリアン・ギャレットの一発で同点に追いつかれるが、6回にチャーリー・マニエル、大杉勝男の適時打で勝ち越し。安田は7回のピンチを併殺で切り抜けると、米国ユマキャンプで覚えた「パラシュートボール」、今でいうチェンジアップの一種を武器に完投勝利を収めた。