この春、僕は大学生になりました。

 巨人を3年でクビになって、すぐに就職するというのも気が進まなくて。高卒より大卒のほうがつぶしが利くし、やりたいことを仕事にできるかなと。これまでは野球しかしてこなかったので、趣味らしい趣味もないし。大学の4年間でそういうものを見つけるのも悪くないと思ったんです。

 同級生は3歳も年下なので「クラスで浮くだろうな」と思っていたら、意外と「野球をやってました」という人と仲良くなれて、それなりに楽しくやっています。

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 地元の友達と酒を飲むと、「変わったね」と言われます。自分でも思います。あぁ、高校ではネコを被っていたな……って。たぶん、プロでの3年間もそうだったんでしょうね。

 自分って本当は、テキトーな人間なんです。それでも、高校ではキャプテンを任されて、「テキトーでは示しがつかない」と真面目なキャラで通しました。今はごく普通の大学生として、肩肘張らずに自由にしていられます。ぐっすり眠れるようになって、身長が2センチ伸びて193センチになりました。

現役時代の筆者・松井義弥

一気に駆け上がっていった同期ドラ6・戸郷翔征

 自分の名前が呼ばれたドラフト会議から、もう4年も経つのですね。プロの1軍の試合に一度も出ることなくクビになってしまったので、僕のプレーを見たことのある方はファームの球場まで足を運ぶような熱心なファンしかいないだろうと思います。

 そんな僕でも、ドラフト会議前には多くのプロスカウトの方が視察に来てくれました。ただし、どのスカウトの方も「ご縁があれば」という言い方だったので、指名されない覚悟を強く持っていた記憶があります。

 ドラフト当日は同級生と教室でパソコンを開いて、自分の名前が呼ばれるのを待っていました。巨人の5位で僕の名前が呼ばれ、職員室に行くと「記者会見の準備をしてあるから」と言われました。世界が変わっていくのをリアルに体感しました。

「九州のゴジラ」

 そんなニックネームをつけられました。「ゴジラ」こと松井秀喜さんと同じ苗字のため、松井さんをなぞらえるようなニックネームになったのでしょう。背番号は松井さんの「55」に対して、僕は「65」でした。

 といっても、重圧なんてありません。苗字が同じだからといって自分が松井さんになれるわけではないし、そもそも松井さんの現役時代のプレーもあまり見たことがなかったからです。「バッティングを武器にする選手ではありたい」と思いつつ、自分のできることをやろうと考えていました。

 僕の入った年はドラフト1位の高橋優貴さん以外は全員高卒でした。同期のメンバーとは仲がよくて、寮でもよく野球の話をしていました。シーズン中は巨人戦のナイター中継を見ながら、「このカウントの時、どう考えている?」なんて意見交換を交わしていました。

 新人合同自主トレの時、キャッチボールのパートナーがまだ1月というのに猛烈な球を投げ込んできました。ドラフト6位の戸郷翔征でした。戸郷と言えば変則フォームを思い浮かべる人が多いようですが、僕は投げ方以上にビュンビュンとうなりをあげるボールに恐怖を覚えました。宮崎で相当仕上げてきたんでしょうね。

 戸郷は1年目から2軍で活躍して、2年目からは1軍のローテーション投手になってしまいました。そうなると生活する時間帯も変わるので、戸郷と接する機会は自然と減っていきました。

 僕がいた3軍でともに過ごす時間が長かったのは、ドラフト2位の増田陸でした。私生活はヤンチャなところもありましたが、野球にかける情熱は本物でした。現状に満足せずに貪欲に練習する姿には、尊敬しかありませんでした。熱く、しぶといプレースタイルは1年目から今も変わりません。